派手さはなくとも信念を貫く!亡くしてわかる福田康夫の政治信条【ヤマヒロのぴかッと金曜日】

山本浩之アナウンサー
 記者会見する福田康夫首相=2008年3月
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 若い頃から政治家を志す人の多くは『総理大臣の椅子』に座るのが夢であろう。それを叶えるのはごく一握りにすぎないが、イチ議員であれ大臣であれその地位につくのが目的、ではないはず。政策を遂行するための手段としてポストを奪い合い、周囲から疎んじられても信念を貫き通すのが政治家の役目である。

 福田康夫元首相の訃報に接し、改めて政治家の仕事について考えた。

 サラリーマン生活にピリオドを打ち、父・福田赳夫首相の秘書官を経て政界入りした時にはすでに50歳を過ぎていた。初当選からわずか10年で森喜朗内閣の官房長官に就任した時は党内から反対意見が強かったものの「能力、人間性、人格から一番適任」と、小泉純一郎森派会長(当時)から推され、森・小泉内閣を通じて3年6カ月余、その任にあった(菅義偉氏に抜かれるまでは最長記録)。

 思えば、黒子役に徹しながら重要政策を実現するこの仕事が一番合っていたのではないか。“影の大臣”と揶揄されても「まあ、しょせん影ですから」と受け流し、辞任の際も「風のごとく来たりて、風のように去るということだ」と言い放ったが、実際その手腕は各所で発揮された。

 それから3年後、重要閣僚の経験がなくとも首相の座に収まったのは必然だった。「私は自分自身を客観的に見ることができるんです。あなたとは違うんです」など冷笑的な態度とは裏腹に、22年の政治活動を通じて国民に寄り添う決断と実行力を発揮した。ハンセン病患者隔離政策の見直しや消費者庁創設とともに功績の一つに挙げられる「公文書管理法」制定。後世のためにも公文書がいかに重要かを説いた。

 2007年暮れ、薬害C型肝炎に苦しむ患者を救済するための裁判所からの和解勧告に応じようとしない福田政権は逆風にさらされた。12月23日、ついに政府は議員立法による一律救済へと大転換した。

 この時は決断の遅さに私も相当厳しい言葉で批判したのを覚えているが、この問題でも厚生労働省の杜撰な文書管理がわかり、首相は激怒したと言われている。政界引退後も、森友学園を巡る文書改ざん問題では財務省を叱責した。

 また、政治的公平の解釈変更をめぐる官邸側と総務省のやりとりが記録された行政文書について高市早苗経済安全保障担当相(当時)が「全くの捏造」と発言したことに関連し、公文書管理の状況に苦言を呈していた(文藝春秋2003年8月号の座談会)。

 『外交・通商政策の福田』と言われたが、実は国民目線の行政を大切にするリーダーであった。「これは選挙の票にならないけど」などと言いながら、コツコツと問題を片付けてきた。

 華はなく、国民に媚びることもなかったが、魑魅魍魎と言われる政治の世界で信念を貫いた数少ない政治家だった。

 ◆山本 浩之(やまもと・ひろゆき)1962年3月16日生まれ。大阪府出身。龍谷大学法学部卒業後、関西テレビにアナウンサーとして入社。スポーツ、情報、報道番組など幅広く活躍するが、2013年に退社。その後はフリーとなり、24年4月からMBSラジオで「ヤマヒロのぴかッとモーニング」(月~金曜日・8~10時)などを担当する。趣味は家庭菜園、ギターなど。

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