29日で来日60周年、ビートルズは「自由そのもの」音楽プロデューサー川原伸司氏に当時の思い出と日本に与えた影響を聞く
世界の音楽と文化を後戻りできないほど変革した英国出身のロックバンド、ザ・ビートルズが1966年6月29日に来日してから29日で60周年を迎える。高校1年生の時に来日公演を体験した音楽プロデューサーの川原伸司氏(75)に、当時の思い出とビートルズが日本の若い世代に与えた影響を聞くとともに、60周年の記念企画や、メンバーのポール・マッカートニー(84)とリンゴ・スター(85)の近況も併せてお届けする。
団塊およびポスト団塊の世代(47~52年生まれ)はビートルズ世代と称されがちだが、東京・中野で生まれ育った川原氏の中学校でも、ビートルズ好きは大人数のクラスで「3人ぐらい」で、実は少数派だった。
ビートルズの来日は「海外の最先端の文化を知るというセンセーショナルな出来事」。学校側は厳しく禁じたが、川原氏は「退学になってもかまわないぐらい絶対に見たい。とにかく体験したい」という思いにかられ、読売新聞の抽選でチケットを手に入れた。
ビートルズは「自由そのもの」に映っていた。「大人に対する不信感が文化という形で現れてきて、一番とんがった形がビートルズだった。自由に生き続けるにはこういう生き方をすればいいという鋳型を学んだ」。
川原氏が見たのは7月2日の最終公演で「リンゴ・スターはニコニコしていて、立ち上がって手を振ったりして。この35分間は一生の体験として残していこうという気持ちが強かったから、冷静に聴いていました」。
席は北東スタンド。ジョン・レノンの真横で、PAがない時代だが、モニタースピーカーからの音がよく聴こえたという。「初日の演奏って全部半音落としてチューニングしている。最終日は普通のチューニングに戻してるから、半音上げるだけでもずいぶん迫力が違いますからね」。
ビートルズが残した影響を、川原氏は「若者たちの意識が変わった。自由に生きて、大人のトータルカルチャーに組み込まれる必要はないって自覚が生まれた」と指摘。細野晴臣、大滝詠一さん、南佳孝らビートルズの影響を受けた音楽家も多く、その後の日本の音楽界を刷新していく。
大滝さん、中森明菜らをプロデュースし、作曲家・平井夏美として松田聖子「瑠璃色の地球」、井上陽水と共作の「少年時代」を手がけた川原氏もその一人で「好きなアーティストと好きなレコードが作れる権限が欲しかった」と、ビートルズにおけるジョージ・マーティンのようなプロデューサーを目指した。
あれから60年。川原氏は「60年前と考え方の基本が変わってない。自由に生きる鋳型を見たから、そのまま生きてます」と、色あせないビートルズの影響を語った。
◆メンバーの近況 ジョン・レノンは1980年、ジョージ・ハリスンは2001年に死去したが、ポールとリンゴは健在だ。ポールはドキュメンタリー「ポール・マッカートニー:マン・オン・ザ・ラン」を2月に配信。5月にニューアルバム「ダンジョン・レインの少年たち」をリリースし、収録曲「ホーム・トゥ・アス」にはリンゴがボーカルとドラムスで参加した。リンゴは4月に2年連続となるニューアルバム「ロング・ロング・ロード」をリリースしている。
◆ポップ・アップ・ストアがオープン ビートルズ作品を発売しているユニバーサルでは7月5日まで東京・原宿で来日60周年記念ポップ・アップ・ストアを開催中。来日時の日航機のタラップを再現し、4人と同じハッピのレプリカを羽織って記念撮影できるスポットや、来日時の写真展示などがあり、アパレルや和雑貨など30種近い60周年記念グッズも販売される。
期間中は竹下通りの横断幕やフラッグがジャケット写真による装飾となり、「ヘルプ!」など3曲がBGMで流れる。
また、66年の来日記念盤「プリーズ・プリーズ・ミー」と「ウィズ・ザ・ビートルズ」を、アートワークを再現した紙ジャケット仕様SHM-CDとLPで26日発売。日本公演の写真を使った日本盤シングル「イエロー・サブマリン/エリナー・リグビー」もカラー7インチシングルで再発する。
