ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンさん死去 82歳 バンドが声明「彼が夢みたメロディー、音符一つ一つに込めた感情は音楽の流れを永遠に変えた」
米国出身の世界的なロックバンド「ビーチ・ボーイズ」の中心メンバーで、ビートルズをはじめ同世代や後進に多大な影響を与えたシンガー・ソングライターのブライアン・ウィルソンさんが死去したことが12日、分かった。公式サイトで遺族が発表した。82歳。米カリフォルニア州イングルウッド出身。
遺族は「最愛の父、ブライアン・ウィルソンが亡くなったことを、深い悲しみとともにお知らせいたします。今は言葉も出ません。家族一同、深い悲しみに暮れていますので、プライバシーを尊重していただけますようお願いいたします。この悲しみを世界と共有していることを深く認識しています。ラブ&マーシー(愛と慈悲を込めて)」との声明を発表。
ビーチ・ボーイズも「世界は一人の天才を悲しみます。私たちもいとこ、友、偉大な音楽の冒険のパートナーを失ったことを悲しみます。彼が夢みたメロディー、音符一つ一つに込めた感情は音楽の流れを永遠に変えました。彼の比類なき才能と独特の精神は、私たち自身を含む世界中の多くの人々の人生のサウンドトラックを創り出しました。私たちは一緒に、世界に楽観主義、喜び、自由の感覚というアメリカン・ドリームを与えました。人々に良い気分を与え、夏と無限の可能性を信じさせる音楽です。私たちは彼の死に傷ついています。私たちは、一緒に作った時代を超えた音楽と、何十年にもわたって何百万人もの人々に彼がもたらした喜びをこれからも大切にしていきます。私たちは彼を深く惜しむでしょうが、彼の遺産は彼の歌を通して、そして私たちの記憶の中で生き続けるでしょう」との声明を発表した。
ブライアンさんは1942年6月20日生まれ。弟のカールさんとデニスさん、いとこのマイク・ラヴ、ブライアンの学友だったアル・ジャーディンとビーチ・ボーイズを結成し、1961年に地元のレーベルからシングル「サーフィン」でデビューした。これがヒットすると1962年にはキャピトル・レコードと契約、ファーストアルバム「サーフィン・サファリ」を発表した。
バンドは「サーフィン・U.S.A.」、「サーファー・ガール」、「アイ・ゲット・アラウンド」、「カリフォルニア・ガールズ」、「グッド・バイブレーション」などの大ヒットを連発。主にブライアンさんが作曲、マイクが作詞を担った。
ブライアンさんは1965年にツアーから引退し、作曲とプロデュースに専念。同時代の大プロデューサー、フィル・スペクターなどの影響も受けて当初のサーフィン/ホット・ロッドから音楽性の幅を広げ、精神性やメディテーション、エコロジーといったテーマを扱い、1966年にはヴァン・ダイク・パークスと組んで歴史的な名盤「ペット・サウンズ」を発表した。
一方で父親との確執やドラッグ、ビートルズをはじめとする英国勢の攻勢などで精神的に問題を抱え、同作を発表後は約11年、表舞台から遠ざかった。少しずつバンド活動に復帰し、1988年に初のソロアルバム「ブライアン・ウィルソン」を発表した。
1994年のセルフカバーアルバム「駄目な僕」以降は近年までコンスタントに作品を発表し、ツアーも敢行。「ペット・サウンズ」の後に手がけていた幻の名盤「スマイル」も2004年にソロ名義で発表した。
1979年にビーチ・ボーイズで来日し、1998年以降はソロでの日本公演もたびたび行った。2012年にはマイク、アル、自身のツアー引退に伴い加入したブルース・ジョンストン、1962~1963年に在籍したデヴィッド・マークスとともに、ビーチ・ボーイズとして千葉マリンスタジアムでコンサートを行った。
娘のウェンディとカーニーは、ママス&パパスのジョン・フィリップスとミシェル・フィリップスの娘チャイナ・フィリップスとの「ウィルソン・フィリップス」として1990年代初頭に人気を博した。弟のデニスさんは1983年、カールさんは1998年に死去。昨年1月にはXで、28年間連れ添った妻メリンダさんが死去したことを公表した。
ビーチ・ボーイズは世界で1億枚超のレコードを売り上げた。米ローリング・ストーン誌は「ペット・サウンズ」を「史上最高のアルバム500」の2位に、ビーチ・ボーイズを「史上最高のアーティスト100」の12位に選出し、1988年には「ロックの殿堂」入りを果たした。
