小倉智昭さん死去 五輪メダル予想で8度対決 デイリースポーツデスクがつづった感謝と惜別の思い
9日に死去した小倉智昭さんは、五輪への造詣が深いことでも知られた。そんな小倉さんとデイリースポーツは過去、夏季・冬季含め8大会でメダル予想対決を実施。デイリーの担当として対決に挑んだ高橋伯弥アマチュアスポーツデスクが、小倉さんへ感謝と惜別の思いを寄せた。
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小倉さんに初めてお会いしたのは、東京オリンピックが開催された2021年だった。五輪イヤーを迎える度に、小倉さんとデイリースポーツはメダル予想対決を繰り広げていた。きっかけは2004年アテネ五輪の前までさかのぼる。フジテレビ「とくダネ!」を通じて続いていた対決が、都内に場所を移して1対1で実現。小倉さんはメダル予想対決に至った経緯を覚えていた。
「そもそもメダル予想対決って、したいとも考えていなかった。ぼくがアテネでの金メダル16個を予想したときに、デイリーさんはベタ記事だったんですけど、“ぼくがとんでもないことを言い出した”みたいなことを書いていたんで、後のイベントで『そういう風に書かれてね。ざまあみろ』って言ったんですよ。デイリーさんがご覧になって、“そう言うなら次回からやってやろうじゃないか”っていうことだったのだろうと」。
前夜から一睡もできていなかった。恐れ多くも、名司会者を前にして進行も務めなければならなかったからだ。取材は動画の撮影を兼ねていたためだが、和やかな雰囲気で進んでいたときにハプニングは起きた。
途中で、後ろに掲げていたデイリースポーツの社旗が音を立てて崩れ落ちた。それも2回…。撮り直しの連発で、背中に脂汗があふれ出るのを感じていた矢先、小倉さんはほほえみながらつぶやいた。「これで勝つな…」。場の空気が、一言で一変した。
カメラが回ると、表情は一変。対決感を出そうと「いつも堅い予想のデイリーさんが、まさかの大盤振る舞い!!」「ぬる過ぎませんか?」「私の予想が不満ですか?」などと舌鋒鋭い言葉が次々に飛んできた。テレビで対決していたときの小倉さんのままだった。
知識は膨大で、選手の親に関する競技歴や、アフリカで行われる陸上の大会の情報も調べていた。持参していた手書きの紙には、悩み抜いたかのようにメダルの数を鉛筆で何カ所も書き直した跡があった。どこまでもプロだった。
怖いイメージとは裏腹に、気さくで気遣いの人だった。休憩中に「デイリーさん、昨日の1面は珍しく阪神ではなく大谷でしたね?」「聖火の最終ランナーはだれだと思います?」などと場を和ませてくれた。取材を終え、御礼とともに、粗相へのわびを繰り返す私に「いえいえ、今日は本当に楽しかったですよ。ありがとうございました」と、何度も謝辞を伝えられた。
最後に小倉さんは切り出した。「次回のパリ五輪は、このお話はないと思うので。今回が最後だと思っています。長年のお疲れさん会をやりましょうよ」。東京五輪は引き分け、通算ではアテネ五輪を含めてデイリースポーツの3勝1敗4分け。8回に及んだ激闘をつまみに、一度でいいから、ゆっくりとお酒を酌み交わしたかった。
メダル予想対決がここまで続いた理由を、小倉さんはこっそりと教えてくれた。「実は他の社からもメダル予想を、と言われていますが、全部断っています。デイリーさんだけにしています。メダル予想については義理がありますから」。後に関係者から、小倉さんはいつもメダル予想対決を楽しみにしていたと聞いた。
五輪を迎える度に、私は小倉さんを思い出す。それはこれからも変わらないだろう。小倉さんとのメダル予想対決は、デイリースポーツ、そして私にとっての宝物。今は感謝の言葉しか浮かばない。(デイリースポーツ・高橋伯弥)
★通算3勝1敗4分け忘れられない激闘の跡
▽04年アテネ五輪 恒例の対決の始まり。小倉氏は本番直前、日本勢のメダルを「金16、銀と銅で22」と予想。本紙は『小倉、まさかの大量予想』と疑問を呈したが結果は「金16、銀と銅で21」。ほぼ完全的中で本紙に圧勝した。
▽08年北京五輪 小倉氏は同7月に「4年前、デイリーに『とんでもないことを言った』と、書かれた」と指摘し、因縁がぼっ発した。本紙は直前予想で再戦を呼びかけ、小倉氏も番組で“応戦”。本紙「金10、銀9、銅7の計26個」、小倉氏は「金12、銀と銅で23(計35個)」と予想。結果は「金9、銀6、銅10の計25個」。本紙に“判定負け”となった。
▽10年バンクーバー五輪 舞台を初めて冬季五輪に移した。本紙の「金3個、銀1個、銅6個(計10個)」に対して、小倉さんは「金1、銀4、銅5(計10個)」。結果は「金0、銀3、銅2(計5個)」でドローに終わった。
▽12年ロンドン五輪 小倉キャスターの予想は「金13、メダル総数40個」、本紙予想が「金10、メダル総数30個」だったが、実際は「金7、メダル総数38個」。金の個数で本紙、総数で小倉キャスターが近かった。「小倉さん、結果はドローと言うことで」とした本紙に対し、小倉キャスターは「総数からいって僕の圧勝と思った」と笑いながら“反論”した。
▽14年ソチ五輪 小倉さんは金4、銀1、銅10で合計15と予想。本紙が金3、銀2、銅7の計12個で実際は「金1、銀4、銅3」の計8。的中数では本紙を2つ上回った小倉キャスターに軍配が上がった。総数では本紙が4個差と近かったため、引き分けと報じた。小倉さんは「負けって言われてもしょうがないなと思っていた。ご配慮いただき、ありがとうございます」と語った。
▽16年リオデジャネイロ五輪 小倉さんが「金20、銀8、銅16」の計44個としていたのに対して、本紙は「金13、銀8、銅17」の計38個。実際は「金12、銀8、銅21」の計41個で、本紙に各メダルの数をほぼ的中されて完敗した。
▽18年平昌五輪 小倉さんは「金8、銀8、銅6」の合計22と予想。本紙の「金6、銀4、銅5の合計15」という予想に対してまたしても完敗。「結果はデイリーさんにことごとくやられてしまいました」と敗戦の弁を口にした。
▽21年東京五輪 小倉さんが「金24、銀32、銅28の計84個」としていたのに対して、本紙「金36、銀17、銅28の計81個」で、実際は「金27、銀14、銅17の計58」。各メダルの個数、総数などから引き分けで、これが最後の対決となった。対戦成績は本紙に対して1勝3敗4分け。
