イルカが振り返る異色のロック&ポップ時代 様々な出会いあった70年代後半~80年代
今年はシンガー・ソングライターのイルカ(72)がソロデビューしてから50年目にあたる。先月末にリリースしたCD3枚組「イルカアーカイブVol.8」は、イルカとしては異色のシティポップ期である82~85年のアルバム集。林哲司氏、秋元康氏、ジェイムズ・ニュートン・ハワード、Mr.ミスターら巨人たちと出会い、故三木たかし氏と再会した「80年代のポップス、ロック色の強いイルカの開花した時代」を、イルカが振り返った。
フォークの印象が強いイルカだが、70年代後半~80年代にはロック/ポップ色を強めていた。父・保坂俊雄がジャズマンで、自身は中1から「ビートルズにどっぷり」だったイルカは、新しいものへの拒否感は「一切ない」といい、この時代も「違うサウンドの持って行き方を非常に楽しんでいた」という。
82年の「JULIA」は元はっぴいえんどの鈴木茂が全編をアレンジし、3度目のLAレコーディングを敢行。過去2回に続きラス・カンケル、ワディ・ワクテルら豪華ミュージシャンが参加し、「たそがれホテル」ではJ・N・ハワードが共編曲を手がけた。いまや「ハンガー・ゲーム」や「ファンタスティック・ビースト」など映画音楽の巨匠は「勢いがあって情熱的な人」だったという。
「スタジオに嵐のように入ってきたんですよ。ノせ方がすごくてね、1曲やるごとにブラボー!みたいな感じで、今聴いても胸がドキドキするぐらいノリノリでね」
コーラスで参加したペイジズは後にMr.ミスターと改名し、85年に2曲の全米No.1ヒットを放つことになる。
「すごくうまかったし、とっても華やかさがあった。いやカッコいいなって思ってたんで、スタジオの中では、彼らは絶対に売れるっていう(確信があった)。全米でNo.1取った時にはすっごいうれしかったですね」
83年の「LOOP CHILD」は石川鷹彦、伊藤銀次、井上鑑が編曲し、ペイジズも参加。オシャレなジャケットは「西武球場と国立競技場を貸し切って撮影してんだよ!」というから、バブルに向かう日本の勢いを感じさせる。
シティポップを代表する作曲家、林哲司氏プロデュースの85年作「Heart Land」は「イルカの歴史において異質っていうか、唯一無二のアルバム」。中古市場でプレミアが付く名盤だ。
夫でプロデューサーだった神部和夫氏の「この時代を先読みできるサウンドプロデューサーを付けた方がいい」という決断から、「夫も私も曲とかアレンジするものが好きだった」という林氏にオファー。同作で初めて作詞家、作曲家に依頼した楽曲を歌うことになり「ホントにまな板の上のイルカっていう感じ」だったと笑う。
秋元康氏も参加した。既に放送作家として知り合っていたが「林さんが『すっごく優秀な男の子がいるんだけど、作詞で使いたいんだけどどうかな?秋元康君っていうんだけど』って言った時に『秋元さん知ってますよ、詞も書くんですか?』(イルカ)、『すごくいい詞を書くからね、新人だけどぜひ一緒にやってみたい』(林氏)って言って、参加してもらった」という。神部氏と秋元氏はこの後、公私ともに関係を深めていった。
さまざまな出会いがあったこの時代の楽曲について、イルカは「来年の春から新しい(ライブの)企画に入っていくので、もちろんこういうものもやっていくつもり」と明かした。来年はソロ50周年を迎えるイルカの旅は、まだまだ続く。
なお、ボーナストラックには三木たかし氏が作曲した4曲を収録した。演歌・歌謡曲の巨匠との取り合わせを「異質でしょ」と笑うが、実は神部氏やスタッフとのカラオケで「時の流れに身をまかせ」を歌い、三木氏との関わりを明かしたのが依頼のきっかけ。三木氏はイルカの父・保坂俊雄のジャズバンドに在籍時、中学生のイルカと会っていた。
三木氏も再会を喜び「悲しみの証明」、「時の子守唄」、「終恋」を連作。全てのレコーディングに立ち会った。イルカは新録の「時の-」について「天国の二人(神部氏と三木氏)にささげるつもりでレコーディングしましたね」と話した。
◆イルカ 1950年12月3日生まれ、東京都出身。女子美術大在学中にフォークグループ結成。71年、シュリークスのメンバーとしてデビュー。74年、ソロデビュー。75年、「なごり雪」が大ヒット。80年、女性シンガー・ソングライター初の日本武道館公演を成功させる。91年からニッポン放送「イルカのミュージックハーモニー」のパーソナリティー。夫はプロデューサーの故神部和夫氏、長男はシンガー・ソングライターの神部冬馬。
