シーナ&ロケッツ・鮎川誠さん死去 亡くなる直前まで音楽制作 シーナさんと同じ“ロック葬”

 ロックバンド「シーナ&ロケッツ」のボーカル兼ギターの鮎川誠(あゆかわ・まこと)さんが29日午前5時47分、すい臓がんのため都内で亡くなったことが30日、分かった。バンドの公式ツイッターなどで発表された。74歳。福岡県出身。葬儀は2月4日午後5時から「鮎川誠“ロック葬”」として、東京都世田谷区代沢3-27-1の森巌寺開山堂で、告別式は翌5日に家族のみで営まれる。喪主はモデルで長女の陽子(ようこ)さん。

 初ステージから57年、ノンストップで骨太なロックンロールを奏で続けたギターヒーローの疾走が止まった。

 所属事務所などによると、鮎川さんは昨年5月に膵臓がんが発覚、余命5カ月の宣告を受けた。本人の強い希望から病気を一切公表することなく、ライブの合間に治療を続けながら全国ツアーを続行していたという。

 最後のステージは昨年12月19日の京都公演。全10曲をエネルギッシュに演奏したが、年末に激しい腹痛に襲われ一時入院。自宅に戻ってからの1カ月はライブ復帰を目指し、長女、次女、三女が交代で看病にあたるなど家族一丸で回復に努めたが、29日に3人の娘にみとられ、都内の自宅で息を引き取った。

 昨年はバンドデビュー45周年記念ライブほか、47都道府県ツアーとライブに奔走。「自分が死ぬまでの間に1本でも多くのシーナ&ロケッツのライブをやりたい」。不変のロック魂でステージに立ち続けライブ本数はここ数年で最多だった。

 亡くなる直前まで数多くの未発表曲の作品化を検討。ツアーのスケジュールや内容を考え、娘に収録曲順の指示や今後発表したいライブ映像を語るなど、最後の瞬間までロックに命を捧げた。

 鮎川さんは75年、バンド「サンハウス」でメジャーデビューした。76年に結婚した妻のシーナさんをボーカルに、78年にシーナ&ロケッツを結成。「涙のハイウェイ」でデビューし、「ユー・メイ・ドリーム」などがヒットした。トレードマークは黒いサングラスに黒いレスポール。15年2月にシーナさんを子宮頸(けい)がんで失ったが、遺志を継ぎ、バンド活動を精力的に続けた。

 葬儀は、シーナさんと同じ“ロック葬”として長年暮らした下北沢で営まれる。ロック界きってのおしどり夫婦として知られた2人。天国でもエネルギッシュな音楽を奏で続けるにちがいない。

 ◆鮎川誠(あゆかわ・まこと)1948年5月2日生まれ、福岡県久留米市出身。九州大学農学部卒。福岡を代表するバンド「サンハウス」のギタリストとして活躍後、78年に上京し、妻でボーカルのシーナ(故鮎川悦子)さんらと4人組ロックバンド「シーナ&ロケッツ」を結成。81年にアルバム「SHEENA&THE ROKKETS」で全米デビューも。俳優としてNHK連続テレビ小説「ちゅらさん」、映画「ジャージの二人」などにも出演した。

関連ニュース

編集者のオススメ記事

芸能最新ニュース

もっとみる

    主要ニュース

    ランキング(芸能)

    話題の写真ランキング

    デイリーおすすめアイテム

    写真

    リアルタイムランキング

    注目トピックス