アグネス・チャン「奇跡」50周年 CD復活リリース&来年1月記念コンサート開催

 歌手のアグネス・チャン(65)が、今年歌手デビュー50周年を迎える。記念企画としてデビューからの貴重な音源がリマスタリングされCDで復活。月に3作ずつがリリースされるプロジェクトが進行中だ。30日にはデビューアルバム「ひなげしの花」「草原の輝き」などが発売される。16歳で香港デビュー、17歳で来日し、トップアイドルとして輝きを放ってきたアグネスが、その歩みを語った。

 17歳での来日からほぼ半世紀。「外国へ行ってこんなに長く歌ってるのは奇跡に近い出来事、ご縁だと思います」。初々しい笑顔が飾られたCDジャケットを手に、アグネスは当時を懐かしんだ。

 「ミュージシャンとして幸せな時間を過ごしてたんだなって思います。その時の不安、夢見ている気持ちがよみがえります。密度が高かったですね」

 キャッチコピーは「香港からやってきた妖精」。呼称への思いを尋ねると「中国語で妖精はちっちゃいデビルのこと。だから何で?って。ティンカーベルみたいなのを妖精って言うんだよって教えてもらって安心しました」と打ち明けた。

 ミニスカートに白いハイソックスが印象的だったが、元々の衣装はひざ下丈のスカート。たまたま事務所の新年会に私服のミニとハイソックス姿で参加すると「これだよ、これ!これを着て歌いなさいって言われて」。偶然の方針転換だった。

 デビュー曲「ひなげしの花」は大ヒット。3作目の「草原の輝き」では数々の新人賞を受賞するなどアイドル街道を駆け上がった。「香港で私をスカウトしてくれたのは平尾昌晃先生。先生が書いてくれた『草原の輝き』は先生が亡くなられたので、特に大事な曲になっています」と恩師への感謝を口にする。

 初期のバックバンドはムーンライダーズ。「ポケットいっぱいの秘密」は松本隆氏が初めてアイドルに詞を書いた作品。ユーミンも荒井由実時代に「白いくつ下は似合わない」を提供するなど、可憐な歌声と別ジャンルの魅力的なコラボが実現していた。

 当時は年間にシングル、アルバム共に複数枚を出すサイクル。日本語は全くできなかったため、ローマ字で歌詞を丸暗記した。香港、台湾でも芸能活動を並行しており「向こうではドラマや映画もあったのでセリフも覚えていた。覚えなきゃいけないことで、いつも頭の中が一杯だった」。引退を表明しカナダの大学に留学したのはその頃だった。

 「若い人に言いたいんです。自分では気がつかないうちに渦の中でおぼれていく。私は、父がストップかけてカナダに行ったんです。ずっと芸能界の中にいたらかなり精神的に不安定になっていたかもしれない」。最近、芸能界で相次ぐ休養発表に心を寄せた。

 復帰後も葛藤があったという。「メッセージソングとか世界平和とか、自分の歌いたい曲しか歌いたくない気持ちがあった。20歳を過ぎると大人のラブソングが歌えるようにならないと、とかもあって。歌っていいのか本気で悩んだ。カナダに行く前に一通りやった感じがしたんです」

 若くして頂点に登り詰めたがゆえの悩み。そんな時代を経てたどり着いた境地をアグネスはこう説明する。「自然の流れで歌は流れていくべきだと思う。私の歌が一番、時代にあった時もあれば、そうじゃない時もある。だけど、私の歌を聴いて慰められたり感動したりする人がいる限りは歌っていきたい」

 コロナ禍で先送りされていた50周年記念コンサートは来年1月26日に中野サンプラザでの開催が決定。ただ、趣旨は大幅に変更するという。「コロナで気持ちが変わりました。私のお祝いじゃなく、みんなのお祝い。困難を我慢して生き延びたお祝い。うれしい気持ちになれるコンサートにします!」。しなやかに、たくましく。妖精は声を弾ませた。

 ◆アグネス・チャン 1955年8月20日、香港で6人きょうだいの4番目として生まれる。71年に「サークルゲーム」で香港デビュー。72年に日本デビュー。上智大を経てトロント大学卒業、米スタンフォード大では教育学博士号取得。85年に結婚、3男をもうける。日本ユニセフ協会大使、ユニセフ・アジア親善大使。乳がん手術を受けた経験から日本対がん協会「ほほえみ大使」も務める。作家としても精力的に活動。主な著書は「スタンフォード大学に三人の息子を合格させた50の教育法」。

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