ジャニーズ事務所の足跡…始まりは62年「ジャニーズ少年野球団」

 日本の戦後芸能史に「男性アイドル」というジャンルを確立させたのが、ジャニーズ事務所だった。62年の創業以来、姉のメリー喜多川副社長(92)とともに、実に24グループ、計約150人以上のアイドルを世に送り出し、“帝国”を築き上げてきた。

 米ロサンゼルス出身で、ミュージカルなど本場のエンターテイメントに触れ、ショービジネスへの造詣が深かったジャニー社長。1960年初頭、住んでいたワシントンハイツ(現代々木公園一帯)で「ジャニーズ少年野球団」を作った同社長は、練習が雨天中止になり、ミュージカル映画「ウエスト・サイド物語」を少年たちと鑑賞した。そこで感銘を受ける少年たちを見て、エンターテイメント界に進出することを決意。メンバーからあおい輝彦ら4人を選抜し、結成したのが初代「ジャニーズ」。62年にデビューさせた。

 当時はグループサウンズ全盛。男性が踊ることは珍しかった時代だったが、ジャニー社長は「歌って踊れるアイドル」を基本指針に、「男版宝塚」を完成させようと独自の感性でプロデュースを続け、芸能界に新風を吹き込んだ。その後、フォーリーブスを始め、近藤真彦、少年隊、光GENJI、SMAP、嵐など各世代でスターを輩出し、その人気と勢力をともに不動ものに。「ジャニーズJr.」に先輩のバックダンサーや脇役で経験を積ませ、次なるデビューにつなげるスタイルで、続々とスターを誕生させてきた。

 2011年にギネス・ワールド・レコーズが「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」と「最も多くのナンバーワン・シングルをプロデュースした人物」に認定。12年に「最も多くのチャート1位アーティストを生み出したプロデューサー」として3つ目のギネス認定を受けた。

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