米国刑務所に収監された元サッカー少年、映画「チカーノになった日本人」KEI氏
米国の刑務所でチカーノと呼ばれる「最強のギャンググループ」と通じ合うようになった日本人KEI氏(58)を追ったドキュメンタリー映画「HOMIE KEI~チカーノになった日本人~」(監督・サカマキマサ)が、大阪・梅田のシネリーブルで公開されている(神戸では6月15日から元町映画館で)。KEI氏は中学生で暴走族に入ったが、同時にサッカー少年で、東京都内にある強豪高校へ推薦入学が決まっていたほどの実力だったという。暴走族に入らなければ米国の刑務所へ収監されることもなく、今ごろサッカーの世界で生きていたかもしれない。KEI氏に当時のことを尋ねた。
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-中学1年生の時にに暴走族に入ったということですがなぜ。
あれは強制で。入らなくちゃいけなかったです。地元では、中学に入ったら。そういう時代だったんです。
-入らない人もいたのでは。
その代わり、めっちゃくちゃ真面目にやんなくちゃいけない。ツッパるんであれば暴走族に入んなくちゃいけない。ツッパリと真面目と極端に別れていました。
-その中間がないんですか。
中間とかはツッパリのやつにめちゃくちゃいじめられたり。だからどっちかになるんです。
-中学1年生は何人くらい。
自分達の代でツッパリは20人くらい。真面目なのは200人くらい。
-なぜツッパリに。
小学校3年からサッカーをやってたんです。サッカーやってるやつは全員そんな感じだったです。野球をやってるやつはみんな真面目で。野球をやりたくても貧乏でできなかった。
-野球はお金がかかります。
はい。サッカーはお金がなくてもできる。中学2年の新人戦で全国大会2位までいってるんです。少年院に行かなければ…。自分はサッカーで帝京から推薦入学のサインもしてたんです。中2の春の新人戦で決勝を国立競技場でやって負けて2位でした。ちょうど、とんねるずの木梨さんと同年代です。あの頃はサッカーでメシ食えた時代じゃないですけどね。今でもサッカーやってます。フットサルをみんなでやってます。
◆映画「HOMIE KEI~チカーノになった日本人~」概要◆ KEI氏は東京・中野生まれ。親の愛情が乏しい家庭に育ち、暴力団員に。ハワイに進出して逮捕。約10年を米国の刑務所で過ごす。日本人はだれもいないという状況の中、だれにもこびずチカーノというギャング・グループと通じ合う。帰国後は警視庁の捜査員から「社会奉仕しろ」と勧められ、ボランティア団体「グッド・ファミリー」を立ち上げ(現在はNPO法人)、問題を抱える子供たちを救済するために奮闘する。母親との確執や、チカーノが教えてくれたものを描いた。