【デイリー記者が見た嵐】メンバー間の徹底的な話し合いで危機乗り越える
「嵐」のリーダー・大野智の提案から5人はなぜ活動休止という決断に至ったのか-。嵐をデビュー前から取材してきたデイリースポーツ歴代担当記者が現在までの歴史をひもとき、検証する。
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無事デビューした嵐だが、最初から今ほど絆が強かったわけではなかった。大野智は「嵐を辞めたい」と悩み続け、他のメンバーも嵐がここまで長く続くとは思っていなかった。
解散の危機はどんなグループにもあるもの。嵐も同じ。メンバーの自覚が希薄だったデビュー間もない頃と、櫻井翔が慶応大学を卒業する時に大きな危機があった。それを乗り越えたのは、今でも何かあると行われる「メンバーの徹底的な話し合い」。嵐のリーダーは、少年隊の番組の中でじゃんけんで決まったのだが、大野が音頭を取った。
「朝まで徹底的に話し合った。それで結束したんだ」と大野は後に語っている。「僕たちはこれからどうやっていけばいいのか」というテーマの話し合いで導き出された答えは、メンバー個々の色の明確化だった。
嵐は、これまでざっくりとしか決まっていなかった各メンバーの立ち位置を、話し合いでまず明確化した。当時、デイリーのインタビューで二宮和也は「大野さんは歌とダンス担当で、相葉ちゃんはバラエティー、僕とマツジュンは芝居で…」とそれぞれのキャラクターをアピールしている。口にすることにより自覚も生まれた。
ジャニーズではかつて、光GENJIなど多くのグループが在籍したが、活動期間は数年と短かった。だがSMAPがアイドルの“寿命”の概念を変えた。
各メンバーがバラエティーやドラマなど、これまでアイドルが足を踏み入れなかった分野に進出し、グループとしての価値を高めたのが長寿の秘訣だ。TOKIOやV6も続き、息の長いグループが増えた。嵐メンバーの話し合いでは「どうやったら先輩を超えられるのか」にも及んだという。
その後、松本潤主演のドラマ「花より男子」が大ヒットしたことにより、主題歌を歌った嵐も注目され、お茶の間に広く認知されるようになる。そのタイミングでグループは「アラウンドアジアプロモーション」で海外進出を図る。(特別取材班)