河瀬直美氏 東京五輪公式映画監督に就任…「運命のような感じ。驚いている」

東京五輪の公式映画監督に就任した河瀬直美監督=都内
東京五輪の公式映画監督に就任した河瀬直美監督=都内
2枚

 2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会は23日、都内で理事会を開き、東京五輪の公式映画監督に、「殯の森」「あん」などのメガホンを取った河瀬直美監督(49)が就任したことを発表した。作品は組織委員会解散後の21年春に完成予定で、その後、広く国内外で公開される予定だという。河瀬監督は同日に行われた会見で「私が映画監督になったのはこのためなんじゃないかというぐらい」など、思いを口にした。

 五輪の国際映画は20世紀初頭から、すべての大会で制作されている。日本では64年の東京大会で、市川崑監督による「東京オリンピック」が、72年札幌大会では、篠田正浩監督(87)による「札幌オリンピック」、98年長野大会では、バド・グリーンスパン監督による「1998長野オリンピック名誉と栄光の物語」が制作された。河瀬監督は、五輪公式映画では歴代5人目の女性監督となる。著作権はIOCに帰属する。

 会見に出席した河瀬監督は「大変、驚いています。そして自分に与えられた役割をしっかり全うしていきたいと今は考えております」と述べた。「これから始まるオリンピックに向けても自分の役割を考えた時に、非常に大きなものをいただいているなと思いながらも、自分自身が出来ることを全うしたいと思います」とした。

 バスケットボールの競技歴があり、国体に出場した経験を持つ河瀬監督は、スポーツやスポーツ関連の映像作品への思いは人一倍強く持っている。「今でもスポーツ番組だったりスポーツ映画だったり、映像を通してのスポーツを目の当たりにすると涙があふれてくるんですね」と思いを述べ、「私が映画監督になったのはこのためなんじゃないかというぐらい。スポーツをずっと続けずに映像というものに向き合って、またスポーツがここにやってきている。そういう意味では運命のような感じがします」としみじみと語った。

 過去の五輪で思い出に残っているのは、98年冬季長野五輪のジャンプ団体の金メダルだという。「原田選手たちのチームが金メダルをとった時は、リアルに生で見ていて泣きました。あのころは、何歳だったんでしょう。私は。長野は98年。まだ20代でしたね(笑)。その当時も私はバスケットボールをクラブチームでやっていて、とても感動したのを覚えていますね」と振り返りつつ、「それからマラソンはいつも感動します。極限まで自分の肉体を追い詰めながら、最後のテープを切るっていうのは、日本の選手だけではなくて、いつも見ていて泣いています」と選手の国籍を問わず心を揺さぶられていると明かした。

関連ニュース

編集者のオススメ記事

芸能最新ニュース

もっとみる

    主要ニュース

    ランキング(芸能)

    話題の写真ランキング

    デイリーおすすめアイテム

    写真

    リアルタイムランキング

    注目トピックス