「AON」時代築いたライバル ジャンボ尾崎さん追悼 中嶋常幸「一緒に戦った日々が宝物」青木功「最後にもう一度会いたかった」
男子ゴルフの尾崎将司さんの死去を受け、「AON」として競い合い、ゴルフ界に一時代を築き上げた青木功(83)、中嶋常幸(71)はライバルとの永遠の別れを惜しんだ。中嶋は亡くなる前日に自宅を訪れていたことも明かした。また、「尾崎3兄弟」として親しまれた弟の健夫(71)、直道(69)も偉大な兄の死を悲しんだ。
1970年代から80年代にかけて、ゴルフ界はまさに「AON」の時代だった。尾崎さんの94勝を筆頭に、3人のツアー通算勝利数は「193」。火花を散らす3人の名勝負に全国のファンは熱狂し、酔いしれた。
尾崎さん、青木に次ぐ歴代3位の通算48勝を挙げた中嶋は「一緒に戦った日々を思い出す。その一つ一つが宝物」とかつてのライバルを悼んだ。亡くなる前日に自宅を訪ね、長男の智春さんから「今は会えないが、おやじは頑張っています」と面会を断られたという。その翌日のあまりに突然すぎる死だった。
40代でスランプに苦しんでいた時、競争相手なのにコースで技術的なアドバイスをしてくれたという。今年2月にも当時を思い出し「遠くから大きな声で呼ばれ、見たらジャンボ。自分の練習時間を削って教えてくれた」と話していた。豪快さとは違う、悩んだ人を放っておけない優しさも大きな魅力だった。
意外に見えるが、読書家で達筆でもあった尾崎さん。「何でもいいから本を読め」と勧められ、「蒼穹(そうきゅう)の昴(すばる)」など何冊も興味深く読んだという。
通算51勝の青木は「長年良きライバルとして、2人でゴルフ界を引っ張って来ただけに、言葉がないです。また一人、大切な戦友を失い寂しい気持ちでいっぱいです」と絶句した。78年から4年連続で賞金王に輝いたが、尾崎さんが50代でタイトルを奪い、98年までに12度取った活躍に圧倒された。「つらい闘病生活、お疲れさまと伝えたい。かなうことなら最後にもう一度会いたかった」と別れを惜しんだ。
◆尾崎将司さんの略年譜
1947年1月24日徳島県で生まれる
64年(17歳) 徳島・海南高(現海部高)で投手として春の甲子園優勝
65年(18歳) プロ野球西鉄(現西武)ライオンズ入団
67年(20歳) 野球選手を引退
70年(23歳) プロテスト合格
71年(24歳) 日本プロ選手権で初優勝
73年(26歳) マスターズで8位、日本ツアー初代賞金王
89年(42歳) 全米オープン選手権6位
96年(49歳) プロ通算100勝達成、日本ツアー年間8勝
98年(51歳) 5年連続12度目の賞金王
2002年(55歳) 全日空オープンで日本ツアー史上最年長優勝
11年(64歳) 世界ゴルフ殿堂入り
13年(66歳) つるやオープン第1日に62をマーク。国内ツアー初のエージシュート
19年(72歳) 指導する原英莉花が女子ツアー初勝利
25年12月23日死去(78歳)
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