“泣き虫先生”山口良治さんが死去 無名・伏見工で全国V4 平尾誠二さんら日本代表に導いた「スクール☆ウォーズ」モデル
京都・伏見工高(現京都工学院高)ラグビー部の監督として2度、総監督を含めて全国高校大会で4度の優勝を果たし、「泣き虫先生」の愛称で親しまれた山口良治(やまぐち・よしはる)さんが29日午前8時13分、脳梗塞のため京都市の病院で死去した。83歳。福井県出身。75年に伏見工高の監督に就任し、荒廃していた学校の生徒を体当たり指導で更生させ、1981年1月決勝の全国高校大会で初優勝。その軌跡は大ヒットドラマ「スクール☆ウォーズ」のモデルとなった。葬儀・告別式は近親者で行う。
「泣き虫先生」が旅立った。荒れ果てていた伏見工高を熱血指導で強豪に育て上げ、81年の全国高校大会で大工大高(現常翔学園)との決勝を7-3で制し、初優勝に導いた山口さん。その歩みは大ヒットドラマ「スクール☆ウォーズ」のモデルになった。
ラグビーにすべてをささげた。現役時代はフランカーとして活躍。若狭農林高(現若狭東高)でラグビーと出会い、進学した日体大で力を伸ばした。66年に日本代表入りを果たし、語りぐさになっているのは3-6で惜敗した1971年のイングランド代表戦。秩父宮で行われたラグビーの母国との激闘で、PGによる唯一の得点をマークした。
74年に現役引退後、伏見工高に体育教師として赴任した。当時、学校は校内暴力、バイクの暴走、喫煙など荒れ放題で、部員は5、6人しかいなかった。「悪い生徒が本当に多かった。だから、みんなラグビー部に入れていった」。75年に監督に就任。『信は力なり』を信条に体当たりでラグビーの素晴らしさを伝え、血の通った指導で、81年に全国の頂点へと導いた。すぐに泣いてしまう涙もろさから「泣き虫先生」の愛称がついた。
93年の全国高校大会決勝、啓光学園(現常翔啓光学園)に15-10で競り勝ち、2度目の優勝を成し遂げた。98年に退任して総監督となり、監督時代と合わせて4度の全国制覇。教え子には「ミスターラグビー」と呼ばれた故平尾誠二さんや、同じく日本代表で活躍した大八木淳史さんらがいる。監督退任後は京都市のスポーツ政策にも携わった。
多くの涙を流した山口さんにとって、最もつらかったであろう出来事は平尾さんの死去だった。16年10月に胆管細胞がんのため53歳で亡くなった教え子。翌年に開かれたお別れの会で「君の遺影を前に弔辞を述べるなんて、夢にも思いませんでした」と述べると、最後は言葉にならないほど号泣した。
2013年に2度目の脳梗塞を患いながらも回復した。伏見工から校名変更となった京都工学院が、24年度に9大会ぶりの花園出場を決めると、決勝の会場でおえつを漏らしながら号泣。花園ラグビー場に車いすで赴き、極寒のスタンドでプレーに目を光らせた。
昨年11月に行われた全国高校ラグビーの京都府予選決勝。京都工学院が12-22で京都成章に敗れて花園を逃した際には「私が生きているうちにもう一度でいいから、花園に連れて行ってほしい」と話していた。教え子を愛し、多くのラグビーファンから愛された名将だった。
◆山口良治(やまぐち・よしはる)1943年2月15日、福井県美浜町出身。若狭農林高(現若狭東高)でラグビーを始めた。日体大に進学し、日本代表は通算13キャップ。75年に伏見工高ラグビー部監督に就任した。80年に全国高校大会初出場を果たし、81年、93年に優勝。総監督を務めた01年、06年を含めて計4度、全国制覇した。競技を通じて社会貢献したとして、2013年に国際ラグビーボード(IRB=現ワールドラグビー)の「IRBラグビースピリット賞」を日本人で初めて受賞した。デイリースポーツ制定「1980年度ホワイトベア・スポーツ賞」受賞。
