中島ひとみ 30歳初代表に「ドキドキ、ワクワク」 100メートル障害で日本歴代2位 夫・豊田将樹との二人三脚で挑む夢舞台
陸上の世界選手権東京大会は13日から21日までの9日間、国立競技場をメイン会場に開催される。東京では1991年以来34年ぶり、日本では2007年大阪大会以来、18年ぶり3回目となる世界選手権。世界最高峰のビッグイベントで、活躍が期待される注目の日本選手を3回にわたって紹介する。1回目は女子100メートル障害で日本歴代2位の12秒71の記録を持つ中島ひとみ(長谷川体育施設)。30歳にして念願の代表権をつかんだ苦労人が、人一倍の思いを胸に世界の舞台に立つ。
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念願の日の丸のユニホームに袖を通す。30歳で初めて日本代表に選出された中島は「(日本代表の)Tシャツを着た時に、自分を見てちょっとウルッときた。やっと、これを着られたんだという実感が湧いてきた」と打ち明けた。感動と喜びをかみしめ、いよいよ世界の舞台を迎える。
中学3年時に全国中学校体育大会で優勝。ただ、そこからは不振に陥り、日の丸を背負う夢をかなえられずにいた。“消えた天才”とも呼ばれた苦労人は「中学生の時に初めて代表になりたいと思った。このユニホームを着て走ってみたかった」という。2024年に日本女子で7人目の12秒台をたたき出すと、そこから急成長。世界選手権東京大会に照準を合わせてきた。
7月6日の日本選手権。一度は電光掲示板に1位と表示されたものの、順位が何度も入れ替わり、結果が二転三転した。最終的には1000分の1秒差で田中佑美(富士通)に次ぐ2位となり「(掲示板の順位に)これで止まってくれというのが、素直な気持ちだった」と正直な心境を吐露し、「全力を出し切れた」と手応えをつかんだレースとなった。
その後、7月23日にフィンランドで行われた大会で日本歴代2位の12秒71をマーク。参加標準記録(12秒73)を突破し、代表権をつかんだ。
本番に向けては「今ある自分のパーツを、より良い形に磨き上げる」ことに重点を置いて練習中。参加標準記録を切ったことを「今あるスピードを、より生かせるようになった。自分のしたいハードリングができている」と分析。8月9日に行われた実業団・学生対抗でも再び12秒71の好タイムで優勝するなど絶好調だ。
支えとなってきたのは夫の存在だった。日本選手権後に「私、結婚しました」と、23年に男子400メートル障害の豊田将樹(富士通)と結婚していたことを発表。コーチとして指導もしてくれるという最愛の人と、二人三脚で歩んできた。
代表権を懸けて走った日本選手権までは精神面で不安定になり、涙を流すこともあったといい「情緒不安定だったけど、彼はすごくポジティブに言葉を返してくれた。本当に救われた」と明かす。練習面でも「(豊田は)理論的に、言葉に変換するのがうまい。いろんな面から伝えてくれる」といい、感覚派という中島にない部分を補塡(ほてん)してくれた。
派手なネイルも、中島の気分を上げるものの一つだ。世界選手権に向けては「キティネイルにした。(女子100メートル障害世界選手権代表で)同い年の福部真子(日本建設工業)と『ギラギラにしていこな』って話をしていた」と笑顔を見せる。大好きなキャラクターのハローキティのパーツをふんだんに乗せた勝負ネイルを施し、準備万端だ。
“オシャレハードラー”は、インスタグラムなどのSNSも積極的に更新している。陸上以外の日常生活を投稿することも多いが、代表入りが発表されてからは「やっと、やっと、やっと スーパーサイヤ人になって世界の強者たちにぶつかってきます」と投稿。7・8万人のフォロワーに決意表明した。
夢の舞台まで一週間を切った。「自分のドキドキ、ワクワクな気持ちを全てレースに込めたい。自分にしかできない走りをしたい。ここに至るまですごく長い時間がかかった中で、たくさんの人に支えられた。感謝の気持ちをぶつけたい」。15歳から15年間追い求め、現実となった今。人一倍の思いを込め、スタートラインに立つ。
◇中島ひとみ(なかじま・ひとみ)1995年7月13日、兵庫県伊丹市出身。中学1年で陸上を始め、3年時に全国中学校体育大会で優勝。夙川学院高(現夙川高)から園田女大(現園田学園大)へ進んだ。18年から長谷川体育施設に所属。世界選手権東京大会で初の日本代表になった。趣味はカフェ巡り。好きな言葉は「楽しいから笑うのではない、笑うから楽しいのだ」





