青学大・倉本 最初で最後の箱根で“技あり”区間賞 反骨世代の意地!柔道で鍛えた足腰生かし激走

 8区・塩出(左)からたタスキを受け取って駆け出す倉本(撮影・堀内翔)
 ゴールしたアンカー・宇田川(手前)を笑顔で迎える青学大メンバーと原監督(右端)
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 「箱根駅伝・復路」(3日、箱根町芦ノ湖駐車場~大手町)

 往路を制した青学大が10時間41分25秒の大会新記録で、2年ぶり7度目の総合優勝を果たした。8区の塩出翔太(2年)、9区の倉本玄太(4年)がともに初の箱根で区間賞を獲得。出雲全日本選抜と全日本を含めた、史上初となる2季連続大学三大駅伝3冠を狙った駒大は、6分35秒差の2位だった。

 最初で最後の箱根路を夢中で駆け抜けた。9区で初起用された倉本玄太(4年)は、背後から聞こえる原監督の「思い切ってどんどん突っ込んでいけ!!」という声にも後押しされ、はるか後方の駒大との差をさらに50秒広げた。区間賞となる“技あり”の逃げで逆転の芽をつんだ仕事人は「4年間きつかったが、この日のために踏ん張ってきた。やってきたことは間違ってなかった」とかみしめた。

 期待を背に受けたが“背負う”のには慣れていた。父や兄の影響で4歳から始めたのは柔道。幼少期から小柄で、背負い投げが得意だった。夜10時まで稽古が続く道場に通うのは苦痛だったが、小学6年まで8年間続け、当時としては最高位の茶帯まで昇級。「礼儀を学び、足腰も強くなった」。並行し、年に1度出場していたマラソン大会には全力を傾け、同学年のライバルに勝つために自ら頭を丸めて臨んだ。「負けず嫌いが当時から出ていた。周りはイベントのつもりの中、1人だけ(気合が)違った」。闘志をむき出しにして走る原点だった。

 「駒大1強」の下馬評を打ち砕いたのは「負けてたまるか!大作戦」を象徴する反骨世代の意地でもあった。エース級の主力がこぞって卒業した今春、原監督からは「おまえらシード落ちするぞ」と危機感をあおられた。指揮官と同じ広島・世羅高時代は主将も務めたが、過去3年はケガもあって伸び悩み、箱根は遠い夢。「いつ殻を破るんだ?」。厳しい言葉に歯を食いしばりながら、この日を夢見てきた。

 「監督を見返したいという気持ちが原動力だった」。恩師は腕の中で3度舞った。“精力善用”の激走で学生生活を締めくくり、今後は実業団に進む。「マラソン一本で活躍できる選手になりたい」。新緑の小さなド根性ランナーは世界を見据えた。

 ◆倉本玄太(くらもと・げんた)2001年8月23日生まれ。広島県出身。三原二中から広島・世羅高に進学。20年に青学大に進学したが、24年の箱根駅伝まで大学三大駅伝の出場はなし。他のスポーツ歴は柔道を8年間経験。163センチ、46キロ。血液型はA。

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