初Vの霧馬山 大関昇進で「霧島」襲名プラン 師匠「オレのしこ名をつけろなんて言えないけど」

 霧馬山(右)を祝福する陸奥親方
 初優勝を飾り賜杯を受け取る霧島=1991年1月
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 「大相撲春場所・千秋楽」(26日、エディオンアリーナ大阪)

 新関脇霧馬山の初優勝を師匠の陸奥親方(元大関霧島)(63)はクールに受けとめた。まな弟子の快挙に一定の評価は与えたが、この優勝は師弟が目標とする大関、横綱への通過点であることを強調。同時に改めて稽古の大切さを説いた。

 喜びは一瞬だった。決定戦で霧馬山が大栄翔を突き落とし、初優勝が決定。陸奥親方はその瞬間こそ口元を緩めたが、すぐに端正なマスクを引き締めた。

 「よくやったとは思う。しかし、大事なのはこれから。これまで以上に稽古を積まなくてはいけない」

 約8年前にテスト生として部屋に来た青年の素質をすぐに見抜いた。「相撲に取り組むバランスがよく性格も一番素直だった。黙っていても幕内はいくと直感した」と振り返った。

 けがに対する強さにも舌を巻いた。幕下時代に右膝の前十字じん帯断裂や右手小指骨折の大けがを負ったが、大げさでなく日本人力士より短期間で回復したという。「病院の先生が言った、日本人の3倍くらいけがに強いと言った言葉が忘れられない」。基礎的な素質もズバ抜けていた。

 親方が最初に直感で見抜いた素直な性格も本物だった。最初の面接で「目標は横綱。日馬富士関のようになりたい」と夢を語った弟子に対し、「負けて悔しかったら稽古をすること。そして勝ってもてんぐになってはいけない」と口を酸っぱくして指導。弟子はその言葉を忠実に守り、初優勝をつかむ力士へと駆け上がった。

 来場所後は自分の最高番付に弟子が並ぶかもしれない。もちろん師弟の目標は横綱だから「大関も通過点」という位置づけになるが、大関を勝ち取った際には自分のしこ名だった「霧島」を与える準備はある。「自分からオレのしこ名をつけろなんて言えないけど、本人が言ってきたり、周囲の盛り上がりがあれば…」。弟子の快進撃で夢プランも浮上しそうだ。

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