引退の小平奈緒支えた地方病院の13年 相沢病院の相沢孝夫理事長「集大成のレース。感動した」

 引退レースを終えて笑顔を見せる小平奈緒(撮影・堀内翔)
 表彰式を終えて高木美帆(左)から祝福される小平奈緒(撮影・堀内翔)
 小平奈緒の引退レースに集まった大勢の観客(撮影・堀内翔)
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 「スピードスケート・全日本距離別選手権」(22日、エムウェーブ)

 女子500メートルが行われ、18年平昌五輪女子500メートル金メダリストで、このレースを最後に現役を退く小平奈緒(36)=相沢病院=が出場が、37秒49で優勝した。2位は38秒18で高木美帆だった。

 小平の選手生活を支えた所属の相沢病院の最高経営責任者で、社会医療法人財団慈泉会の相沢孝夫理事長は、ラストレースを見届け「小平さんがこれまでやってきた集大成のレースだったと思う。後半に伸びもあって、本当に感動した」と、目を細めた。

 相沢病院は2009年から小平をサポート。当時まだ小平は“無名”の存在だった。長野の拠点を変えず競技を続けたいと希望していた小平だったが、不況もあって所属企業はなかなか決まらず、信州大卒業間近の3月、結城コーチと病院のスタッフとが知り合いだったことや、小平が病院でリハビリを受けていたという縁もあり、相沢病院を頼った。

 相沢理事長は「長野の人が長野で五輪を目指したいと言っているのに、どうして長野の企業はできないの。みんなができないなら僕がやるよと」と振り返る。「一流になることは期待していなかった。(周囲からは)広告価値がって言われるけど、相沢病院の名前が出たからって患者さんが来るわけじゃない」。初対面にして小平は、下心なしにその姿勢を支えたいと思える人だった。

 ソチ五輪後のオランダへの武者修行も「スタッフの海外留学」という形で支援。小平は「金銭面のサポートがないと無理だった」と感謝する。W杯などの海外遠征へも、できるだけビジネスクラスを利用できるよう支援。17年4月からはサポート役としてソチ五輪代表で栄養士の石沢志穂氏も雇用した。

 支援金は年間約1000万円にものぼったが、それでも相沢理事長はかつて「(病院内から)不満もあまり聞かないし、もっと言えば、私がもらっている給料を半分にすればいい」と、語った。これだけ小平が有名になった今も「病院そのものにとってメリットがあると思えない。盛り上がって、一体感があって、仲間意識を持てる。それが重要」。そんな応援を小平は「すごく温かい」と感謝してきた。

 現役生活を駆け抜けた小平を、相沢理事長は「2009年に相沢病院を選んでもらったことに心から感謝したい。結果が出るときも出ないときも、自分の目指すスケートに向かい、山と谷を乗り越え、トップアスリートとして活躍したことに、『お疲れさま』と声を掛けたい」と、ねぎらった。

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