羽生と共に歩んだ10年 3・11被災、五輪2連覇…見守り続けた原点「アイスリンク仙台」

 リニューアルされたアイスリンク仙台=17年12月1日
 被災から2カ月後の、アイスリンク仙台が入る商業施設=11年5月
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 東日本大震災が発生した2011年3月11日、羽生結弦(ANA)がいたのが、当時の練習拠点であり、06年トリノ五輪金メダルの荒川静香さんらも輩出した「アイスリンク仙台」だ。羽生はスケート靴のまま避難し、避難所生活も経験したという。当時は副支配人、現在は支配人を務める在家正樹氏(50)と、アイスリンク仙台を運営する加藤商会の加藤松彦代表取締役(57)が当時を、そして羽生と共に歩んできたこの10年を振り返った。

 「あの時のことがオーバーラップするような揺れ方で。体がやっぱり覚えていますね」

 2月13日深夜、東日本大震災の余震とされる地震を、仙台市在住の在家氏はこう振り返った。リンクに大きな損傷被害はなかったが安全確認のために1週間休業。「再度気をつけなさいという意味もあったのかな」-。

 当時、在家氏はリンクの事務所に一人でいた。「ぐちゃぐちゃだった」。崩れかけていた壁が、4月の余震で倒壊。7月には営業を再開したが、「フィギュアやアイスホッケー、多くのスケート仲間、生徒が震災で辞めてしまった」と加藤氏は言う。羽生もスケートを続ける葛藤があったと話している。

 10年。その間に羽生は五輪2連覇を達成した。「遠いけど近い存在」というのは2人の共通の言葉だ。

 「あの経験は彼の勇気というか、ここ一番でのものすごい力になっているのでは」と在家氏。「ここあっての今の彼だと思う。これからも夢を追い続ける彼に協力し、見守り続けたい」という。

 羽生も、20年4月時点で総額3000万円近くの寄付を行っているほか、チャリティーグッズを着用するなど、アイスリンク仙台の思いに応え、寄り添い続けている。

 コロナ禍。時短営業や入場制限もあり、リンクの経営状況は厳しい。それでも「金メダルが3つも出ているリンクは日本にも世界にもない。もう1つ金メダルを増やせる選手を育てたい。羽生選手が今後、もう1つ栄光を残してくれるのかなって期待もあるけどね」と在家氏。彼と歩んだ10年間を誇りに、これからも共に歩んでいく。

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