「三宅一族」の底力で連続メダル 「五輪コラム」
重量挙げ女子48キロ級の三宅宏実が銅メダルを手にした。
大会前から腰痛など故障に悩まされ、痛み止めの注射を打って出場する苦境だったが、ロンドン大会の銀に続く2大会連続のメダル獲得を果たした。
▽父の判断、明暗分ける
優勝候補の中国選手が欠場し、メダル候補のベトナム選手が記録なしに終わる幸運にも恵まれた。30歳で迎えた4度目の五輪での快挙は、重量挙げ界では知られた「三宅一族」の底力を見せつけた逆転劇だった。
スナッチは2回失敗し、追い込まれた81キロの3回目の試技で際どく成功。スナッチの準備運動の際、動きが重いと見たコーチで父の義行氏が、当初の予定重量82キロから1キロ下げさせたのだという。きめ細かいこの判断が明暗を分けた。
ジャークでは2回目にひじが太ももに触れる反則を犯したため、試技の途中で赤ランプが点灯した。
成功しないとメダルなしに終わる107キロの3回目は、粘りに粘って差し上げた。国内でテレビ観戦した伯父の三宅義信氏は「ハラハラさせられたが、忍の一字でよくメダルを取った。メダルを取るか取らないかは雲泥の差」と姪の奮闘をたたえた。
▽48年前の出来事
1964年の東京五輪で圧倒的な強さを発揮し、日本選手団第1号の金メダリストとなった義信氏だが、60年ローマ五輪は薄氷を踏むような展開だった。
当時はプレス、スナッチ、ジャークの3種目。初の国際試合で力を出し切れず、成功したのは3種目とも最終3度目の試技だけだった。
「最後は日本の方角に向かって拝んだ」そうだが、なんとかメダルを確保した。4年後の東京大会に向けたその後の激しい練習ぶりは語り草になっている。
義信氏が金、弟の義行氏が銅と日本選手初の兄弟メダル獲得となった68年のメキシコ五輪では、義行氏がジャークの2回目に147・5キロを差し上げながら、肩より高い位置からバーベルを落としてはならないという規則に違反して失敗試技に。成功しなければメダルがなくなる3回目に挙げ直し、めでたく兄弟で表彰台に立った。
義信氏は「宏実は親父とそっくりだなあ」と48年前の出来事と重ね合わせて娘と父をねぎらった。
故障に次ぐ故障で体はぼろぼろ。それでも「宏実は誰よりも練習した」と義行氏は娘の努力を認めた。追い込まれても失敗しても、最後はメダルに結びつける勝負強さは、徹底した競技への取り組みがあったからこそ。「三宅一族」の強さの源泉である。(船原勝英)