上村愛子の背中を押した夫の言葉とは…

 来年2月のソチ五輪で悲願のメダル獲得を目指すフリースタイルスキー、女子モーグルの上村愛子(33)=北野建設=が再び熱く燃えている。4位に終わった2010年バンクバー五輪後、失意の中で休養を宣言。現役続行か引退かで悩んだ末、1年後に復帰を決意した。その時、背中を押してくれたのがアルペンスキーのエースで夫の皆川賢太郎(36)から受けた言葉。その瞬間、新たな覚醒への道は開かれた‐。

 その言葉を聞いて、上村は夫が雪に埋もれていた道しるべを捜してくれたと思った。夫は優しい笑みをたたえながら、こう言った。「やっぱり、愛子はコブを滑るのがうまいなあ」。一語一語が鼓膜を通じて心の奥にしみ込んできた。

 11年3月、上村は皆川と新潟県の苗場スキー場にいた。休養以降もモーグルの板には乗らなかったが、趣味でスキーは楽しんでいた。その時はアルペンの板をはいていた。ふと見ると1本のコブ斜面があった。自然の流れでアタックすることになった。アルペンの硬い板がコブにはじかれる夫を横目に、上村はしなやかに滑り降りた。

 あの言葉は、そこで聞いた。目の前の霧が晴れていくような気がした。もしかしたら、自分は休養を宣言した時から復帰を決めていたのかもしれない。その気持ちを夫は見透かしていて、今、後押しをしてくれたのだ。顔をきりりと上げて答えた。「コブって楽しいね。やっぱり褒めてもらえるの、ここだけなんだね」。忘れかけていた底抜けの愛子スマイルだった。

 「あの苗場でコブの中に入った時、休んでいたのに何でこんなに滑れるんだろうと思ったんです。そして純粋にコブってやっぱり楽しいって思えたんです。そこで、だんなさんの言葉がすごく効いて。あの時が最終的な決断だったと思います」

 バンクーバー五輪で4位に終わった直後、1年間の休養を発表した。1年間と期限を決めたのは、その間に現役復帰か引退かを決めるつもりだったからだ。五輪は18歳で初出場した長野から4大会連続出場だったが、順位は7、6、5、4位。競技人生の集大成と位置づけたバンクーバーでメダルに手が届かず、心が折れてしまったのだった。

 「本当はモーグルと出合ったバンクーバーでメダルを取ってやめようと思っていたんです。自分で勝手にストーリーをつくっていたんですね。それがかなわなかったので、やめると思っていたのにやめると言えなくなってしまった。こんなフワフワした状態で進退を言うのは違うなという気持ちがあったので、一度競技を休もうと思ったんです」

 休養中はトレーニングを一切しなかった。自宅のこたつに入ってテレビを見たり、モーグル以外のスキーを楽しんだ。一般の女性と同じような生活をして過ごしたが、やはり競技への思いは消せない。そんな時、閉じかけた心のベクトルを徐々に復帰へと向かわせてくれたのも、皆川の何げない励ましだった。

 「愛子はどこか痛くて休んでいるわけじゃないよね。やれるかもしれないのにやらないのはもったいないねと、やんわり言われて…。実際、気持ちがへこたれていただけなので、やったらできるかもしれないことを、へこたれてるだけでやらないなんて、年を取った時に後悔する材料がありすぎました。そこに気づくまで1年かかっちゃいましたけど…」

 11~12年シーズンで復帰すると、いきなりW杯苗場大会のデュアルモーグルで2位。12~13年シーズンはW杯総合7位と色あせない存在感を見せつけた。今季はソチ五輪の有力なメダル候補に挙げられている。

 「やっぱり愛子はコブを滑るのがうまいなあ」。あの初春の苗場で夫に探し出してもらった道しるべ。その指し示していた方角はソチ。もう立ち止まらない。

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