ガクッ!年俸が80%以上ダウンした選手たち

 2018年、プロ野球選手の年俸の最大ダウン率は中日入団が決定した松坂大輔投手の96%だった。年俸が80%以上下がった主な選手の事例をまとめた。【金額は推定】

公開日:2018.1.16

【伊藤智仁 88%減】8000万円→1000万円(2003年)

13回まで185球を投げたものの土壇場で1点を取られ、巨人・堀内恒夫以来のルーキー3試合連続完封を逃がしたヤクルト・伊藤智仁=1993年6月27日、甲子園球場

 150キロ台の快速球と、鋭く曲がる高速スライダーを武器に活躍したが、ケガに苦しんだ。2003年には年俸8000万円から1000万円、88%もの減俸も受け入れた。

 伊藤氏の才能を買っていた当時のヤクルト監督・野村克也氏は、自身が酷使したことが故障につながったとテレビ番組の企画でわびた。

 野球評論家の野村克也氏が3日放送のTBS系特番「消えた天才 一流アスリートが勝てなかった人大追跡」で、自身がヤクルトの監督を務めていた際に「俺が潰した」と悔やむ、伊藤智仁氏に謝罪した。これに、伊藤氏は「何とも思っていないです」と笑顔を見せた。

ノムさん「俺以外の監督なら…」、伊藤智仁氏に酷使を謝罪

 92年のドラフト会議で松井秀喜を推すスカウト陣を押し切ってまで当時の野村監督が指名したのが伊藤氏だった。ルーキーイヤーの93年から活躍。開幕から2カ月半で7勝2敗、防御率0・91という好成績を挙げた。しかし、同年7月4日の巨人戦で右肘を負傷。このシーズンは前半戦のみの出場にとどまり、ここから苦闘が始まった。

ノムさん「俺以外の監督なら…」、伊藤智仁氏に酷使を謝罪

 90年から98年までヤクルトを指揮した野村氏は、BCリーグの富山で監督を務める伊藤氏に「責任は俺かなとすごく思っていた。すごい申し訳ないと。それだけは謝りたい。俺以外の監督の下なら記録は絶対に残しているよ。俺が邪魔したみたいだ」と謝罪すると、伊藤氏は「僕は自分の責任だと思っていますし、そういう風に特に思ってほしくないです」と言い切った。

ノムさん「俺以外の監督なら…」、伊藤智仁氏に酷使を謝罪

 いずれも一般社会では考えられない額ですが…厳しいプロの世界では常識なのかもしれません。松坂投手、成瀬投手、杉内投手の逆襲はなるのか。キャンプから注目です。

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