【高校野球特集4】あんな人もこんな人も―「青春の詩」題字を書いていた

デイリー高校野球名物コラム「青春の詩」をご存じだろうか。現在はイラストの題字だが、さまざまな著名人が自筆で書いていた時代があったのだ。(敬称略)

公開日:2017.8.14

始まりは1970年!当初は自社イラストだった

 デイリー高校野球コラム「青春の詩」。勝者だけでなく敗者にもスポットを当て、球児ひとりひとりのドラマを描き出すこのコラムは、入社21年目の編集Wが入社したころには既に伝統の企画だった。このクソ暑い中、過去紙面の保管庫にこもって調べたところ1970(昭和45)年から始まっていた。なぜこの年なのか。
 夏の大会は第52回、センバツも42回、デイリーは創刊22周年と全くキリがよくない。西暦は1970年とキリはいいが… 推測だが、前年の決勝が列島を感動の渦に巻き込んだ松山商vs三沢の延長18回引き分け再試合だったので、その盛り上がりを受けてのスタートではないか。
 ちなみにこの年と翌71(昭和46)年のタイトルカットは自社のデザインで「青春の詩(うた)」とルビが振ってある。3年目の72年は完全に手応えを感じたのか、当時の甲子園球場長の自筆というちょっと箔がついたものになった。
 そして…

1973年から有名人登場!1発目はミスター長嶋茂雄

 夏の風物詩企画として力を入れ始めたのが伝わってくるような人選。開幕からミスタープロ野球・長嶋茂雄を投入してきた。大学・プロとすべての栄光を手にした長嶋だが、高校時代は甲子園とは全く縁がなかった。その長嶋を最初にもってくるあたりがニクいね。

ミスターからバトン受けたのは64年センバツV腕ジャンボ尾崎!

ミスターに続いたのはプロゴルファー尾崎将司。当時26歳だったジャンボは、この年のマスターズで東洋人初の8位に食い込むなど大健闘した旬の男。しかも、64年のセンバツで海南高(徳島)を初出場初優勝に導いた甲子園優勝投手という納得の人選だった。

長嶋が書くなら王も!58年センバツ優勝投手が降臨だ!

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