復刻ユニで甦る 猛牛いてまえ軍団「近鉄バファローズ」よ永遠なれ

オリックスとの吸収合併から13年、豪快な「いてまえ打線」と「江夏の21球」「伝説の10・19」などの悲運を持ち合わせた「近鉄バファローズ」は男のロマンにあふれていた!(敬称略)

公開日:2017.5.8

中村紀洋と

00年、本塁打&打点の2冠王。高額年俸に加えて、FA宣言やメジャー挑戦時の言動から世間のバッシングに合った。写真のようなヘルメットからはみ出した金髪の後ろ髪やワイルドな(気を使ったいい回し)発言等はネット上で格好のネタとなり、「黒いノリさん」として様々なAA(アスキーアート)が作られた。“一人ぼっちのエアキャンプ”など紆余曲折を経て07年中日に入団。育成契約にも腐ることなく真摯に努力した結果、支配下契約とチームの信頼を勝ち取り、そのまま主力として活躍。中日53年ぶりの日本一に攻守で貢献し、日本シリーズMVPまで獲得した復活ストーリーに歓喜したネット民から「白いノリさん」と呼ばれ、名誉を回復したのだった。

【ヒイキ100%枠】 編集Wが中3の時、家まで押しかけた水口栄二

松山商以来のチームメイトになった佐野重樹(左)とガッチリ握手を交わすルーキー近鉄・水口栄二

道後温泉とミカンぐらいしか自慢できない我が故郷・愛媛の“第3の名物”が高校野球、とりわけ松山商業の存在だった。夏5回春2回の優勝を誇る名門、とくにリアルタイムで見た86年の準優勝は編集Wに感動を与えてくれた。当時の主将・水口が母の教え子だった関係で、実家に帰ったところにお邪魔して、直接サインまでもらった。ちなみに写真左は後の「ピッカリ君」佐野重樹。水口と同級生のはずだが、松山商業時代をまったく覚えてない… 申しわ毛ない、もとい、申し訳ない。

この人なくしてバファローズなし!自らの異名がチーム名になった猛牛・千葉茂

近鉄・千葉茂監督=1960(昭和35)年

現役時代は好守巧打で鳴らした巨人の名二塁手。背番号3は、1958(昭和33)年、ゴールデンルーキーにふさわしい番号として長嶋茂雄に受け継がれた。巨人監督になるチャンスもあったとも言われるが、翌59年に当時弱小だった近鉄パールスの監督に就任した。超大物を迎えて新たな球団愛称を公募したところ、千葉の異名「猛牛」にちなんだ「バファロー」に決まった(のちにバファローズに変更)。この時、親友・岡本太郎に依頼してできたのが、あの猛牛マーク。つまり、チーム名もマークも、千葉茂がいなければ存在しなかったのだ。余談だがカツカレーの考案者としても知られている。80年殿堂入り。02年没

軍歌のごとく熱かった公式応援歌!歌っていたのは元祖うっかり八兵衛こと高橋元太郎

公式応援歌「炎(も)えろ!近鉄バファローズ」を聞いたとき、まさか歌っているのがうっかり八兵衛とは思わなかった。いてまえ軍団にふさわしい歌詞、軍歌を思わせる重厚な曲調。どれをとっても熱すぎるこの名曲、ぜひどっかで聞いてみて下さい。

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