球界初の背番号00は?【プロ野球記録企画】
デイリースポーツの記録担当がプロ野球のさまざまな記録をひもとく新企画「記録の向こう側」(随時掲載)がスタート。今回は球界初の背番号00を取り上げる。
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史上最強助っ人ランディ・バースが1988年途中、息子の病気のため阪神を退団するという緊急事態に陥った。そこで急きょ呼び寄せられたのが、ルパート・ジョーンズだった。
同年はレンジャーズ傘下の3Aオクラホマシティでプレーしていた。バースの後釜だけに一塁手を任されたが、メジャー時代にはわずか5試合しか経験のなかったポジションだった。守りでミスを連発し、本職の外野へと回った。一塁には代わって、柏原純一や外野が本職の田尾安志らが回った。
ところが、外野守備が輪をかけて問題だった。来日前に左肩を痛めており、まともなボールを投げられない。「内野への返球がカーブだった」「いや、チェンジアップだった」などとファンにあきれられる始末。
背負った番号は「00」。バースの44番は、さすがに恐れ多かったか。既に背番号0は球界に増えつつあったものの、2つ並べたのはNPB初だった。
拙守に加え、打撃も前任者には遠く及ばず。成績欄にもゼロを連ね、オフには寂しく日本を去った。
答…1988年ルパート・ジョーンズ(阪神)
(デイリースポーツ・高野 勲)
