日本ハム・宮西を変えた新庄監督の言葉「愉しめ!」金字塔前に肩の力抜けた 史上4人目900試合登板へ「優勝するために、絶対に通る道」
25年シーズンに並々ならぬ思いで臨む選手を取り上げるキャンプ企画「今季に懸ける」。第6回は中継ぎのレジェンド、日本ハム・宮西尚生投手(39)に迫った。昨季プロ野球史上初の400ホールドを達成。6月に迎える不惑を前にしても新たな挑戦に貪欲な左腕が、新庄剛志監督(53)との出会いによる変化、9年ぶり優勝と日本一への渇望を明かした。
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プロ18年目のキャンプに、宮西は勢いをつけて入った。3年ぶりの1軍スタート。いつでも投げられる状態に、自主トレでいったん肩を作った。モチベーションの裏には、年始のあいさつでかわした新庄監督とのDM(ダイレクトメッセージ)のやりとりがあった。
「『今年は若い子たちと初めから勝負させるからね』って来て、その後の文が『国頭(2軍キャンプ)で甘ったれた調整はさせないからね』って来てたんで」
ウイットに富んだゲキに込められた期待。うれしそうな笑みを浮かべ、文面を振り返った。
昨季は変化の年だった。史上初の400ホールド。金字塔を前に、苦しんだ時間があった。何とか偉業を成し遂げた左腕に肩の力を抜かせたのも、指揮官の言葉だった。
「達成せなアカンていう、周りからの期待もそうやし、相当なプレッシャーだった。(記録を)とった時に、新庄さんから連絡が来て『愉(たの)しんだ中に、最後どういう数字がついてくるかってことが大事』みたいなことを言ってもらった。『51歳まで愉しめ!』っていうDMが来た時に、一試合一試合を楽しんで、終わった時に何試合投げたんやろ(でいい)って。それで、すごく気が楽になって」
意識改革は効果てきめん。『頑張ろう』ではなく『愉しもう』になると、記録達成後も快調に12ホールドを加算した。
過酷でありながら、脚光を浴びることは少ないセットアッパーという仕事。記録が支えになることもあった。
「リリーフの価値をね、これからの若い子がリリーフで目指すものってなかなかないから。タイトルも少ない。そういう中で、ホールドの数は一つの目標、頑張れる要素としてつらい時に踏みとどまれる。そういうものを作り上げないとっていう思いでずっときていた部分があった。そこに関しては一つ、自分の仕事が終わったかな」。
前人未到の「400」という数字を刻み、肩の荷が下りたと頬を緩めた。史上4人目の900試合登板まであと31試合。こちらも偉業だが、向き合い方は違う。
「それこそ逆。岩瀬さんや歴代の先輩方がああいう数字を出してくれているから、そこまで頑張ろうって」。先人の残した数字への気負いはない。「あんまり気になっていないかな。優勝するために、活躍すれば900は絶対に通る道。1試合を楽しみたいっていうスタンスに去年から変わったから」と、重荷ではなく励みの一つだ。
チーム最年長。9年前の日本一を知る数少ない選手だ。ただ、宮西は若手が多い伸び盛りチームを静かに見守る。
「完全に世代が変わって、あの子たちが一生懸命やっている中で、僕は『16年はこうやって日本一になった』って言うつもりは全くない。ここ数年で、すごくそういう考えにもなった」。もちろん、しかるべき時には「つまずいたところで、ひと声かけてあげる。やっぱ、そこしかないと思うので」と、自身の役割を果たす気持ちはある。
入団以来14年連続50登板以上。ただ「“鉄腕”って言われることがものすごく嫌い」と月並みなな表現を好まない。「人一倍、体が弱いから、ルーキーの頃からトレーナーさんにほんまにお世話になって。僕は“鉄腕”じゃない。“鉄腕”にしてくれた人たちがいっぱいいる」と、周囲に感謝して歩み続けてきた。
新庄監督就任3年目の昨季はチェンジアップを新たに覚えて復調。不惑を前に、進化への取り組みをやめることはない。
「この2、3年で(頭が)柔らかくなってきて、発想がすごく愉しい。またこの年になって、新しいことにチャレンジする楽しさも見いだしてもらえた。打たれようが、調子が悪かろうが、後悔のないように準備はして、どんな状態でもその1試合を愉しみたい」。
後輩たちとの競争に身を置きながら、チームを俯瞰(ふかん)し、自らのマウンドを楽しむ。その上で望むのは「本当にもう一回優勝したいっていう思いはすごく強い」。自身4度目の美酒に酔うため、ひたすらに腕を振ると決めている。
◆宮西 尚生(みやにし・なおき)1985年6月2日生まれ、39歳。兵庫県出身。180センチ、81キロ。左投げ左打ち。投手。市尼崎から関学大を経て、2007年度大学生・社会人ドラフト3巡目で日本ハム入団。08年3月25日・西武戦(札幌ドーム)でプロ初登板(中継ぎ)。412ホールドはNPB最多。17年WBC日本代表。





