【スポーツ界22年墓碑銘】村田兆治さん「マサカリ投法」通算215勝も自宅火災で

 通算215勝を挙げた不屈の大投手が72歳の秋、誰もが想像し得ない最期でこの世を去った。元ロッテ投手・村田兆治氏の23年間にわたる現役生活は、逆境克服のたまものだった。最多奪三振4回、最優秀防御率3回、最多勝1回、最多セーブ1回と数々のタイトルを獲得した。左足を大きく振り上げる独特のフォーム「マサカリ投法」から投げ込む150キロ超の速球と落差の大きなフォークを武器にロッテのエースとして君臨。05年に野球殿堂入りした。

 82年に右肘を痛め、翌83年に当時まだ珍しかった靱帯(じんたい)再建手術(通称トミー・ジョン手術)を米国で受けた。84年終盤に復帰。85年は日曜日ごとに先発するローテーションで「サンデー兆治」と呼ばれる活躍。17勝を挙げカムバック賞を受賞した。39歳だった89年に3回目の最優秀防御率を獲得するなど、ケガにも年齢にも負けない精神力で球界をけん引した。

 90年に引退も野球への情熱は衰えず、ダイエー(現ソフトバンク)で1軍投手コーチを務めた。引退後も投球練習に励み、60歳を超えてもOB戦などで130キロ超の直球を投げ、周囲を沸かせたこともあった。08年からは島の中学生が対象の野球大会「離島甲子園」開催に尽力するなど、子どもたちの指導で全国を飛び回っていた。

 しかし11月11日未明、都内の自宅で火災。意識不明で発見されたが搬送先の病院で死去した。多くの功績を残した右腕を惜しむ声は絶えない。

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