ヤクルト青木 優勝だけを求めた4年-メジャー挑戦を応援してくれた球団への感謝【特別手記】

 石川に肩を抱かれ、涙を流しながら歓喜の輪に向かう青木(撮影・飯室逸平)
 本紙に特別手記を寄せた青木(球団提供)
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 「日本シリーズ・第6戦、オリックス1-2ヤクルト」(27日、ほっともっとフィールド神戸)

 20年ぶりの日本一に貢献したヤクルト・青木宣親外野手(39)が手記を寄せた。大リーグ挑戦から2018年に古巣に復帰し、自身初のリーグ優勝、そして「夢」だったという日本一の称号を手にしたベテラン。海外に飛び出した自分を温かく迎え入れてくれたチームへの思いや、家族への感謝の気持ちを明かした。

  ◇  ◇

 日本一とは僕にとって夢。それを「現実」にしたかった。だからこそ今、ものすごく興奮してます。シーズンの最初はリーグ優勝が目標でした。でもそこから欲が出てきて、日本一になりたいなと。この舞台に立って、プレーできたことを誇りに思っています。

 僕にとっては、初めての日本シリーズ。それはCSとも、シーズンとも違いました。リーグの代表で出ているので、より負けられないなという思いで戦ってきました。今年で39歳。年齢と共に立場が変わり、責任を感じる瞬間は今まで以上に多くなった。こういう立場で優勝できたことが本当に幸せですね。

 2018年2月、ヤクルトで優勝したいと思って復帰しました。7年ぶりに帰ってきた古巣。球団への感謝の思いが強かったです。メジャー時代の6年間、オフに帰ってきたら、あいさつに行かせてもらって、球団の施設も快く使わせてもらいました。僕との関係を、離れている間も切らさないでいてくれたんですよね。

 それがすごくありがたくて、その思いはすごく伝わっていました。僕には、(メジャー挑戦の前年である)2011年の悔しさもありましたから。優勝が見えていた中で、まさかの大逆転負けで2位。心残りもありました。そんな状況下で、僕自身の「アメリカでやってみたい」、「今しかできない」という挑戦を快く応援してくれたのも、ヤクルト球団でした。だからこそ、「このチームでプレーしたい」と強く願いました。

 優勝することだけを求めてきた4年間でした。そして後輩たちに力をつけてほしいと、僕なりに行動してきました。若い選手が力をつけてくれないと、スワローズの将来が不安になってしまうので。野手、投手問わず、シーズン通して気づいたことをアドバイスしてきました。大切にしたのは伝えるだけではなくて、自分で考え感じてもらって行動できるように伝えました。頼ってもらえることはうれしいですし、何かあったときには手助けしたいと常に思っています。

 ここまでたどり着くのに、家族の支えがありました。特にアメリカに行ったときは、生活も環境も違って、すごくつらかったと思います。そんな中で子供たちは毎年、僕の誕生日に手紙をくれるんですけど、そこに「おめでとう」とか「頑張って」とか書いてあって…。かわいいですよね。部屋に大切に飾ってあります。

 年齢的にもだいぶ記憶に残るようになってきていて、反応がこれまでとは全然違ってきていますね。だからこそ、いいところを見せたいなって。僕は家にはできる限り野球の悩みを持ち込まないようにしています。子供たちはいつも奥さんのマネをして、「体は大丈夫?」とか言ってたりするんですけど、そういうところはホッとします(笑)。

 今年経験した初めてのリーグ優勝。あの日真っ先にベンチを飛び出して、みんながこっちに走ってくる景色は本当に最高でした。そして、その先にあった日本一。夢が、現実になりました。みんなと抱き合って、喜んだことが、その瞬間が僕にとって幸せの瞬間でした。この喜びを来年も味わいたいです。(ヤクルトスワローズ外野手・青木宣親)

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