オリックス「もう一度」がんばろうKOBE 震災から25年 ユニ復刻発表

 阪神・淡路大震災から25年、オリックスナインとチーム関係者は神戸に向かって黙とうをする(撮影・山口登)
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 阪神・淡路大震災から25年を迎えた17日、オリックスは大阪市此花区の球団施設で選手、スタッフら約80人が神戸に向かって1分間の黙とうをささげた。震災から25年、球団の神戸移転30年を迎える今季を『THANKS KOBE~がんばろうKOBE 25th~』と題してほっともっと神戸で開催する全8試合で95年当時のホームユニホームで戦うことを発表した。

 あの日のことは忘れない。傷ついた神戸の街。本当に野球をしていていいのか?湧き上がった疑問はやがて、野球で勇気づけるんだという強い意志へと変わっていった。

 田口壮野手総合兼打撃コーチ(50)は「一番最初に聞いた音と感じた揺れは今でも残っています。50年生きてきて“死”を感じたのはあの時だけ」と話す。神戸市北区のマンションで被災。2日間は何も食べられなかった。3日目、近くのスーパーが営業再開。2時間並んで店に入り、少ない食料を手に、また2時間レジに並んでようやく食事にありつけた。

 小林宏2軍投手コーチ(49)は神戸市西区にあった当時の青濤館で被災した。「情報がまったくなくて、寮の屋上に出たら三宮の方向が煙だらけだった。ランニングに出たら大渋滞。“こんな時になにしてるんだ”っていう目で見られた。イチローとか寮にいる者が2階に集められて食料を用意できないから地元に帰るように言われた」。野球をやれる環境ではなかった。キャンプは自由参加。だが、2月1日に全員がそろった。キャンプ地宮古島では普通に生活できる幸せを感じた。

 田口コーチは「僕らができることは野球しかなかった。絶対勝ちたい、神戸が元気になってくれたらいいと思った。お互いに励まし合ってファンの人に後押ししてもらった」と振り返った。

 誰も見に来られないのではと思った開幕戦、神戸は満員だった。そこから『がんばろうKOBE』の合言葉の下、一丸となったチームは快進撃を続け優勝へと突き進んだ。

 今季はほっと神戸で行う全8試合で当時の復刻ユニホームで戦う。「もう一度、神戸のファンの皆さんと戦える。勝ちたいですね」と田口コーチ。『がんばろうKOBE』のワッペンを付けて、強いオリックスを呼び起こす。

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