終戦の日に沖縄の星・安仁屋氏がマウンドへ レジェンド始球式

始球式を行った安仁屋宗八さん=甲子園球場
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 「第100回全国高校野球選手権」(15日、甲子園球場)

 終戦の日のレジェンド始球式には、プロ野球の広島、阪神で活躍した沖縄(現沖縄尚学)OBの安仁屋宗八氏がマウンドに上がった。安仁屋氏は1962年夏、沖縄のエースとして南九州大会を勝ち抜き、沖縄勢として初めて自力で甲子園出場を果たした。

 マウンドに立ち帽子をとって大観衆の前に頭を下げて捕手と向き合った。73歳とは思えぬダイナミックなフォームで投じた一球は外角高めのノーバウンド投球。歴史を刻む1球だった。

 登板日が終戦の日と重なったのは偶然ではない。始球式の登板が決まった際には「沖縄出身で、プロでは(被爆地の)広島でお世話になったことも関係しているんでしょう。今回、第100回大会を迎えられたのも日本が平和だからこそ。平和への感謝の気持ちも込めて投げたい」と話していた。

 社会人の琉球煙草を経て広島入り。本拠地だった旧広島市民球場のそばには負の遺産である原爆ドームがある。一方で安仁屋氏が入団した広島は、弱小チームではあったものの広島復興の象徴として地元の人から愛されていた。

 沖縄の星としてプロ通算119勝。安仁屋氏が登板する日は、ラジオを聴いたりテレビを見るために沖縄の街から人が消えたというエピソードもある。それほどのスターは引退後も広島でコーチや2軍監督を務め、退団後は評論家を務めるかたわら広島カープOB会の会長を務める。また、3年前から春季キャンプでは臨時コーチを務め、常勝カープに深くかかわってきた。

 激戦地の沖縄で生まれ、原爆が投下された広島で半世紀以上も生きてきた。今年の沖縄大会でも慰霊の日であった6月23日の開幕戦でも始球式を務めた。広島では今では甲子園で戦った広陵ナインとも交流がある。平和だからこそできる野球。終戦の日の始球式は、甲子園の歴史そして日本の歴史を考える中でも大きな意味がある。

 沖縄大会でも6月23日の開幕戦で元オリックスの石嶺和彦氏とともに始球式に登板。この日も沖縄では慰霊の日でもあった。

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