ロンシャン“最後の”凱旋門賞に0頭?

 今週末の札幌記念で始動予定だった、今年のオークス2着馬ルージュバックが函館競馬場へ入厩後に熱発。同レースを回避して再度、放牧に出された。

 心身ともに未完成の3歳牝馬。今回のレース結果次第では凱旋門賞・仏G1(10月4日・ロンシャン競馬場)へ挑戦する可能性もあったが、放牧先の福島県(ノーザンファーム天栄)から函館への移動、到着後の環境の変化で体調を崩すようでは、フランス遠征プランも事実上、消滅したと言わざるを得ない。

 これにより、5月に登録を完了していた日本馬5頭全馬の参戦が難しくなり(ほかにエピファネイア=故障引退、ドゥラメンテ、リアルスティール=骨折休養、ワンアンドオンリー=国内戦専念)、09年以来、6年ぶりに凱旋門賞への日本馬出走がなくなった(直前に1500万円以上の追加登録料を支払って参戦する馬もおるまい)。

 なかでも個人的にかなりショックだったのが、今年のダービー馬ドゥラメンテが骨折により休養を余儀なくされたことだ。ダービー制覇後は、菊花賞で日本競馬史上8頭目となる三冠馬を目指すのか、日本競馬初となる凱旋門賞制覇を目指すのか、その動向が大いに注目されていた。

 「日本の競馬を盛り上げるために菊へ向かうべきだ」、「三冠の重みを考えてほしい」という“国内派”と「斤量が軽い3歳のうちに挑戦するべき」、「チャンスがあるなら挑戦できる時に行くべき」という“仏挑戦派”-周囲の競馬好きの間でも意見は真っ二つ。例えとして適当ではないかもしれないが、5月の大阪都構想と同じぐらいに意見が二分していたと思う(比較的年配の方が国内派、若い年代が仏遠征派と年齢層で意見が分かれていた点も実は似ていたりする)。

 いまさら論じても仕方がないのは承知の上で言わせてもらえば、筆者は断然、仏遠征派だった。古馬牡馬との比較で3・5キロ軽い負担重量や、1969年のスピードシンボリの初挑戦以来、のべ19頭が参戦し、いまだ栄冠を勝ち取れていない“日本競馬の悲願”への思いも、もちろんその理由。だが、仏遠征派だった最も大きな理由は、今年の凱旋門賞後に舞台となるロンシャン競馬場が、改修工事に入るということだ。

 延期に次ぐ延期で4年間も先延ばしとなっていた今回の工事期間は21カ月の長期にわたる大規模なもので、来年(16年)の凱旋門賞はシャンティイ競馬場で行われることが有力となっている(17年は新ロンシャンで開催)。シャンティイといえば競馬場に隣接する街に厩舎や、総面積約400ヘクタールに及ぶ調教場が点在。日本馬が仏遠征したときには滞在して、ここで調整を行う。

 99年エルコンドルパサー、02年マンハッタンカフェの仏遠征時に出張で訪れたが、パリから車で小一時間の田舎町。古城・シャンティイ城をバックに馬が駆ける風景は、いかにも欧州競馬の歴史を感じさせた。都心近郊の中央場所という観点から、パリ=東京と置き換え、日本の競馬場に当てはめれば、ロンシャン競馬場=東京競馬場、シャンティイ競馬場=中山競馬場となるだろうか。

 現時点で既にキズナ、ワンアンドオンリーのノースヒルズ勢が来年の凱旋門賞挑戦を表明、ドゥラメンテも順調なら再び挑戦プランが浮上するだろう。そうなれば日本ダービー馬3頭が参戦することになる。

 でも、やっぱり…。“ロンシャンの凱旋門賞”こそ、日本競馬の悲願。仮に来年、日本馬が勝ち、非欧州馬として初制覇を達成したとしても“あの時はシャンティイ開催だったから…”などと不当に価値が下がってしまうような気がしてならないのだ(日本でいえば中山で行われたダービーを勝つイメージか※一度も行われていません)。

 だからこそ、ロンシャン“最後”となる凱旋門賞には、チャンスのある限り挑戦してほしかった。史上初の3連覇を狙う女王トレヴに再び立ち向かってほしかった(来年はもう引退しているだろう)。

 “ひょっとしたら今年こそ…”なんて妙にナショナリズムが騒ぎ出す1週間が訪れないのは寂しい限り。競馬担当デスクとしては、スプリンターズSと重なり、繁忙を極める“10月1週目”から久々に解放されるのはありがたいのだけれど。(デイリースポーツ・和田 剛)

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