日本人-ユダヤ人つなぐCグラック監督

 “日本のシンドラー”と言われた元外交官・杉原千畝の半生を描いた映画「杉原千畝 スギハラチウネ」の撮影がポーランドで行われている。俳優の唐沢寿明が杉原を演じていることはデイリースポーツでも大きく報じたが、今回は、“裏の主役”であり、日本とも非常に関わりの深いチェリン・グラック監督について触れてみたい。

 名前からは想像が付かないが、見た目は“ちょっと濃い日本人”くらいのグラック監督。日系米国人の母の血が濃いのか、一見、米国人とは思えない。しかも、父の仕事の都合で、生まれは和歌山県。日本語はペラペラで、ホテルで記者に会ったときも「おはようございます」とあいさつし、流ちょうな日本語で話してくれた。

 日本語を生かして、過去には「ブラック・レイン」(1989年)や「イントゥ・ザ・サン」(05年)など日本を舞台にしたハリウッド映画で助監督を務めた。日本映画でも「ローレライ」(05)や「20世紀少年」シリーズ(08~09年)などの海外ユニットの演出を担当した。監督デビューは俳優の小日向文世主演の「サイドウェイズ」(09年)。竹野内豊主演の「太平洋の奇跡-フォックスと呼ばれた男-」(11年)では米国側の監督を務めるなど、映画人生も“半分日本人”だ。

 「杉原-」は日本映画だが、唐沢と妻の幸子役の小雪以外はほとんどが外国人キャスト。スタッフもポーランド人に米国人が加わる多国籍軍で、英語と日本語が堪能なグラック監督の手腕が存分に発揮されている。

 言語の面でまさに適役のグラック監督だが、実はそのルーツも作品にぴったりだった。監督の父はユダヤ系の米国人だったのだ。必然ともいえる巡り合わせにグラック監督は「半分ユダヤ人の私にとって、おそらく日本のみなさんより、この映画のことを身近に感じると思います。彼(杉原)はユダヤ人コミュニティーでは有名な人物で、描くのに2時間ほどしかないのは残念なくらいです」と思いを明かした。

 杉原は当時、ナチス・ドイツからの迫害から逃れて、中立国だったリトアニアに移住していたポーランド系ユダヤ人2139人にビザを発給した。日本を経由地として、カリブ海のオランダ領キュラソー島が行き先となっていたが、多くは“経路”である米国にとどまったという。

 映画にはグラック監督のおいも俳優として出演しているが、ミドルネームは「Chiune」。米国のユダヤ人にとって、杉原がいかに大切な人物かがうかがい知れる。ユダヤ系米国人で、日系人を母に持つグラック監督にとって、杉原の物語は父方と母方の両方にゆかりのあるストーリーだったのだ。

 一方で、グラック監督は映画のタイトルをそのものズバリの「杉原千畝 スギハラチウネ」ではなく「ペルソナ・ノン・グラータ」にしたがっていた。ラテン語で、直訳すると「好ましからざる人物」という意味。外交官を受け入れる国が、特定の人物の赴任を拒否(杉原はソ連から「ペルソナ-」に指定された)するという意味を示している。「この映画は私にとって杉原千畝だけを描いたものではないのです。ユダヤ人、ユダヤ人を救うために行動したほかの日本人などさまざまな人を描きたいのです。よく日本人は『ノーと言えない』と表現されるが、戦時下のような悪い状況の中でも『ノー』と言える人々がいたことを分かってほしい」と熱弁をふるった。

 結局タイトルは製作サイドの意向をくんで「杉原千畝 スギハラチウネ」となったが、グラック監督が作品に込めた思いは変わらない。「映画は日本とポーランドの本当の物語。日本人、ポーランド人、世界中のスギハラ・サバイバー(杉原が発給したビザで命を救われた人々)にも喜んでほしいね」と胸を張った。

 記者も現地で、ユダヤ人をゲットーからアウシュビッツに運び出す拠点の1つだった「ラジェガスト駅」の跡地を見学したり、ポーランド人のコーディネーターから「今は200年ぶりの平和な時代」と聞かされるなど、ごくわずかだが、歴史の一部に触れる経験をした。記者よりも深く、深く日本人とユダヤ人に関わっているグラック監督が描く作品が、どう仕上がるのか楽しみにしている。

(デイリースポーツ・澤田英延)

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