京都競馬開幕週に免許返上の理由とは

 何度ため息をついたか分からない。奇跡を信じる一方で、無慈悲な現実に押しつぶされそうになっていた。いら立ちが募りに募り、主治医とケンカを繰り返した。

 ケガでひどくゆがんだ自分の左腕がトラウマを呼び起こし、アクションもののドラマやアニメすら怖くて観られなくなった。「今でも、この決断を後悔していない、とは言えないです」。12年11月24日の京都競馬で落馬し、左上腕骨など数カ所を骨折。復帰を目指して懸命のリハビリを続けてきた佐藤哲三が16日、騎手を引退することを発表した。

 信念と執念の人だった。競走馬をつくるという仕事に並々ならぬプライドと独自の理論を持ち、自他ともに一切のブレを許さない孤高の職人。あくまで個人的にだが、佐藤哲三を取材する際には少々緊張したものだ。隠さず言うと、取材相手としては苦手な部類だった。怒鳴られた経験こそなかったものの、どんな言葉が短い導火線に着火してしまうのか、つかみ切れないところがあった。

 「記者さんたちとはよくケンカをしましたね(苦笑)。仕事場で他人に優しくすると、自分にも優しく、甘くなってしまうと思っていて。それと自分はこうこうこうで、と(順序立てて)考えながらやってきたし、そこでいろいろ聞かれたりすると、イラっときたこともあったんです」

 折り目正しく頑固一徹。ただ、“馬という生き物を知ろうとする質問”には、ぶしつけな聞き方でも、懇切丁寧に教えてくれたのを覚えている。そして、ひとたび馬にまたがれば、死に物狂いで馬券圏内を目指してくれる。積極的騎乗スタイルにはファンが多かった。私もそのひとりだ。

 今年1月に行われた5回目の手術後、一向に動かない左腕を見つめ、回復の見込みはゼロに近いと悟ったという。気持ちに整理がついたのは7月30日。鳥取県の大山ヒルズで昨年のダービー馬キズナに会った際、すり寄るしぐさを“かわいい”と思ってしまったことが復帰断念を決定的にした。

 「そういうことを思わないようにやってきたんですが…」

 サラブレッドは経済動物だ。走らなければ価値はない。芽生えてしまった感情は、馬づくりをシビアに行ううえで足を引っ張りかねないものだった。「もう無理だな、と思いました」。甘えるキズナをなでながら、目が真っ赤になった。

 騎手免許を返上するのは京都競馬開幕週の10月12日。開催中の阪神でもなく、汗を流した栗東トレセンの事務所でもない。理由は「京都で落馬したから」。鈍感な私には正直、ピンとこなかったが、次いで出た言葉を聞いてハッとした。

 「お世話になった道具が、置いたままになっている」

 落馬事故以来、閉ざされている京都競馬場の個人ロッカー。あるじを待つ道具とともに、時間は止まったままだ。悲運にはあらがい切れなかった。でも、前に進むと決めた自分の手で、時計の針を動かしたかったのだ。せめてもの意地だったようにも思う。

 共同会見の最後、一番気になっていたことを聞いてみた。今後、調教師になるという選択肢はないのか、と。

 「(ノースヒルズの)前田幸治社長がお見舞いに来た際、“調教師になったら、ウチの馬を全部預けるから心配ないやろ”と言っていただけた。ありがたい言葉だったんですが、体が動かないので口先だけに頼って調教師をやっています、というのは僕の中で許せなかった。ただ、騎手としては諦めたけど、馬に乗ることは諦めていないんです。乗れる体になればですが、調教師というのも気持ちのすご~く片隅にはあるので、まずは今後、与えられた仕事をやっていくなかで、先々にそういうのもあっていいのかなとは思っています」

 平成元年のデビューから26年。平成の歴史とともに、騎手・佐藤哲三の生きざまは刻まれてきた。今後は主に地方のWINSなどを回ってファン拡大に尽力するとのことだが、再びステッキを力強く握って陣頭に立ち、自らつくり上げたダービー馬を世に送り出す日が来るかもしれない。不屈の男の、新たな物語が幕を開ける。

(デイリースポーツ・長崎弘典)

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