魔女死す~忘れられない34年前の一言

 1964年東京五輪の女子バレーボールで金メダルを獲得し、「東洋の魔女」と呼ばれた全日本チームの主将、中村昌枝(旧姓河西)さんが3日、死去した。

 その訃報に触れたとき、私は34年前に一度だけ会った中村さんの強烈な印象を思い出した。そのときのひと言を…。

 79年10月、場所は静岡県の伊東だった。

 私は当時、プロ野球の巨人担当。長嶋監督による伊東キャンプを取材していた。

 野球担当5年目、自分でも脂が乗り切っていたころ、そのキャンプの印象は強烈だった。次代の巨人を担う若手選手を集めて、長嶋監督はしごきにしごいた。

 あまりの厳しさに泣いた選手もいた。プロの選手が練習で泣くなんて-と驚いたことを思い出す。

 そんな地獄と言われたキャンプをある日、1人の女性が訪れた。それが中村さんだった。

 中村さんは五輪後引退し、自衛官と結婚して伊東市かその周辺に住んでいた。

 巨人のキャンプは、確かあるマスコミから誘われて見学に訪れたものだったと記憶している。

 私は巨人担当として、自慢する思いがあった。「どうだ、すごい練習でしょう」と。そんな内心は隠しながら中村さんに「どうです?」と話し掛けた。他社が招いた人だから記事にするつもりではなく、あくまで好奇心からだった。

 すると、中村さんは言った。

 「大したことないんですね」

 何の気負いもなく、力みもなくボソッとしたそのひと言は、34年を経た今もなお、私の耳の中に余韻を残している。

 大松監督にしごきあげられ、ついに金メダルをつかむに至ったその猛練習は、私もよく知っているつもりだった。しかし、記録映画や他の報道で接した知識は吹っ飛んで、その「猛練習」の本当のすごさを、私は中村さんのひと言によって知った。

 最近の中村さんの様子を知ろうと、私はネットで「河西昌枝」を検索してみた。伊東市の近くで3年前、ドリームチームの一員として登場した記事が見つかった。

 たぶんまだ当時と同じ場所に住んで、バレーボールも続けていたのだろうか。享年80。

(デイリースポーツ・岡本清)

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