米團治 父・米朝さんの着物でお別れ
上方落語の復興に尽力し、19日に肺炎のため89歳で亡くなった人間国宝の落語家・桂米朝(本名・中川清)さんの葬儀が25日、大阪府吹田市の千里会館で営まれ1500人以上が参列した。
長男の桂米團治(56)が喪主あいさつで、「きょうも本当に抜けるような青空です。あの高いとこから我々をニヤニヤ見てるんじゃないかと思います」と語っていると、晴天だった空が曇り、突然横なぐりの雨が降り出し、参列者から「さすが師匠」との声があがる一幕もあった。
弟子を代表してあいさつした月亭可朝(77)が、かつて米朝さんの財布を預かっていた時代に、こっそりキャバレーに通ったことを告白したことを受け、米團治は「(自身の幼少時に子守りの途中で)初めてキャバレーに連れて行ってくれたのは可朝さんでした。ホステスさんに預けられて2時間ぐらい過ごしました」と懐かしみ、「私は長男ですが、生まれた時から兄ちゃんたちがいました。米朝はみんなの父親でした」と振り返った。
米團治は、この日、着用した着物を「きょうは普段米朝が着ていた着物で来ました」と紹介。「これを見立てたのは去年6月に他界した母でした。2人で幸せに」と天国で再会する両親をしのんだ。