間寛平 ヨット出航直後に民宿でビール

「宝塚大使」に任命され、アースマラソンをテーマに講演を行った間寛平=兵庫県宝塚市内
「宝塚大使」に任命され、アースマラソンをテーマに講演を行った間寛平=兵庫県宝塚市内
「宝塚大使」に任命された後、会見場で寝そべり座骨神経痛について説明する間寛平=兵庫県宝塚市内
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 タレント・間寛平(65)が8日、地元の兵庫県宝塚市の「宝塚大使」に任命され、同市内で2008年末から2年がかりで完走した地球1周アースマラソンをテーマに講演。「絶対言うたらアカンで」と偉業の裏側にあった“大人の事情”や“潜伏事件”などの秘話を明かした。

 「60歳までに人類が誰もやってないことを」と発案した地球1周は、最初は妻と、若手時代の元マネジャーと3人でひそかに計画。ヨットの調達・整備や1日50キロを走る練習を重ね、「家を担保にお金を借りてやろうと思っていた」という。

 ただ2年後に計画を発表すると、テレビ局やスポンサーの協力が得られることに。「僕のそのときの気持ちはシメシメ、でした」と笑わせた。

 当時の16年東京五輪招致を目指していた日本オリンピック委員会(JOC)の招致大使にも任命されたが、これによって“大人の事情”も絡んでくることに。当初は夏季に太平洋をヨット横断しようと、出発を09年7月に設定していたが、JOCから09年10月にデンマークで行われる国際オリンピック委員会の総会までに同地に到着してほしいとの要望が入った。夏出発では間に合わず「(当時東京都知事の)石原慎太郎さんに都庁に呼ばれて『間くん、いますぐスタートしなさい。僕も向こうで待ってる』と言われましてね」。

 結局、予定を半年以上早め、08年12月に大阪を出発。09年元日にはテレビ中継される中、千葉・鴨川から1万人に見送られてヨットで太平洋に乗り出した。だが、案の定、冬の海で初日から10メートルの波に襲われる緊急事態となり、本部と交信して、20キロ離れた別の港に戻るように指示されたという。「(元の港には)戻ってくるなよって言われて。そらそうや、生放送で出て行ってるし…」との体面もあって、結局、その日は別の港で待ち構えたスタッフに誘導され、民宿の2階で身を潜めたという。「言うたらアカンよ。あの日は民宿に隠れて、ビール飲んで正月番組見てたんよ」と告白した。

 民宿の客に見られ「今の寛平ちゃんと違う?」と騒ぎが起きかけるピンチも乗り切り、海が穏やかになった2日後、こっそり出航したという。

 苦難の太平洋上では相棒の15歳年下の元マネジャーと上下関係が入れ替わり、怒鳴られることもあったそうで「僕がアメリカに着いた時に泣いてたんは、彼と離れられるから」と笑わせた。

 ほかにも、米国で並走しながらすしを握ってくれる職人が現れたり、イランでは親切な老人にバイクに乗せられそうになって危うくルール違反を犯しそうになった話や、トイレが少ない中国の道ばたで用を足す“秘策”なども披露。1時間半、なつかしそうに2年余に及んだ旅を振り返っていた。

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