瀬々監督が見た、俳優陣のライバル意識
横山秀夫の傑作長編『64(ロクヨン)』が、ついに映画化された(前編:5月7日公開)。警察小説の金字塔と呼ばれる作品にふさわしい、現在の日本映画界で最高と言っていいキャストが集められ、前後編で重厚かつ情熱的に、目の離せないミステリーであり、そして実に人間くさいドラマが展開されていく。監督は『ヘヴンズ ストーリー』(2010年)、『アントキノイノチ』(2011年)などの名匠・瀬々敬久。来阪した監督に話を訊いた。
取材・文/春岡勇二
「いい俳優のぶつかり合いは映画の醍醐味」(瀬々監督)
──映画化の話がきたとき、どう思われましたか?
横山さんの小説は以前から好きだったので、原作は出版されたときに読んでいました。当時から評判になってましたし。ただ、そのときは一読者として読んでいたのですが、映画化のお話をいただいて「やります」と即答しました。好きな作品でしたからね。ただ、改めて読み直すと、主人公の一人称で書かれた小説で、結末も主人公の思念だけで構成されているので、これをどう観せるのか、難しいとは思いました。前・後編で描くことも決まっていたので、それもやはり悩みましたね。
──そのとき、NHKでドラマ化(2015年放送、ピエール瀧主演)されることはわかっていたのですか?
ひょっとすると作られるかもしれない、というぐらいでした。実際に放送されたのは、ちょうど撮影を行っているときだったので、一切観ないようにしました。変に影響受けたりしないように(笑)。でも、いい評判を周囲から聞いていたので、重圧は増えました。僕のヨメも観ていて、「面白い」って言っていましたし(笑)。
──監督自身がこの小説に惹かれたのは、どういったところだったのですか?
主人公が広報官という、警察組織のなかで難しいポジションにいることから、組織対個人という問題、これは警察官でなくともいろいろな会社や地域で多くの人が自分のこととして共感できる部分だろうし、広報官の立場からの警察対マスコミ、記者たちとの関わりあいだとか、描きどころは多いのですが、僕自身が強く興味を引かれたのは、昭和の最後の年、たった1週間しかなかった昭和64年の、あの年、あの頃への、自分のなかに残っていたこだわりからのものですね。
──それは具体的に言うと?
あの頃、何か変革が起こるのではないかと多くの人間が考えたんです。僕自身もそうでした。天安門事件が起こり、ベルリンの壁が壊され、日本では55年体制が崩れた。これでなにかが変わるのじゃないか、新しいこと起こるのじゃないかと・・・、けれど結局、年号が変わっただけで社会は何も変わらず、新しい世紀は訪れなかった。それどころか、それ以後、グローバリズムなんて呼ばれるものに多くのものが収斂されていき、むしろ生きにくくなってしまった。そんな思いがこの小説の背景にはきっとあるんだろうなと考えてしまう、それが未消化のこだわりからの考えですね。ただ、映画として面白いものに出来るのではないかという、作り手としての勘も働きました。物語的に、ある男たちの人生を軸に描くことによって。
──ある男たちというのは?
娘を失った3人の父親です。佐藤浩市さん演じる主人公と、永瀬正敏さん演じる昭和64年に起こった誘拐事件の被害者、それに緒形直人さんが演じた14年後の誘拐事件の被害者。3人ともなんらかの形で娘を失う。そんな3人を軸に、例えばクリント・イーストウッド監督の『ミスティック・リバー』(2004年)のように、過去の出来事で後半生が運命づけられた男たちが、それぞれの立場が入れ替わっていたらどうなっていただろう、ひょっとしたらそれもあり得たのではないかと想像する。あの映画での過去の出来事と言うのも誘拐事件だったわけですが、本作でもそういった関係が物語の肝として描けたらと。
──佐藤浩市と永瀬正敏が、永瀬の家の前で話すシーンや、終盤の佐藤と緒形直人の対決シーンにその思いが出ていますね。この3人の芝居には迫力がありました。
そうですね。せめぎ合っているというか、生身でぶつかっていっているというか、それは僕も感じました。当たり前ですが、いい俳優同士のぶつかり合いというのは映画の醍醐味のひとつですよね。
──娘を失った父親といえば、誘拐事件のときと14年後で、永瀬演じる父親の風貌がすっかり変わっているのに驚きました。
ええ、それはもちろん狙いだったのですが、永瀬さんは事件のときとその後のシーンの撮影の合い間、3週間ぐらいだったのですが、その間に10キロ以上痩せてきてくれたんです、憔悴と老いの感じをだすために。
──さすがですね。14年後の車を運転しているシーンで見える首筋から胸の皮膚は特殊メイクですか?
そうです。老けを造り込みました。永瀬さんもスタッフも頑張ってくれて。
「(原作者から)記者の描写をおろそかにしないでくれと」(瀬々監督)
──チラッとしか見えないけどいいですね。あとベテランの俳優さんでは、三浦友和、奥田瑛二、吉岡秀隆らもやはり存在感がありました。
みなさん独特の緊張感を持って現場に臨まれていて、役柄の雰囲気が身についていて素晴らしかったですね。特に今回、奥田さんが撮影時にすごく緊張しているのを感じて、撮影終わりに「奥田さん、緊張してましたよね」と訊いたんです。そうしたら「ああ、これまでにないくらい緊張したよ」って言われて。「どうしたんですか?」って言ったら、「だって、みんな出(で)が違うだろ」って。
──出が違う?
俳優さんたちそれぞれが、俳優としての出自も違うし、歩いてきた道も違うということですね。佐藤さんと緒形さんは父親も俳優だったわけだけど、父親とは違うところを経てきた人たちだし、三浦さんは山口百恵さんの相手役、つまりアイドル映画から出発して相米慎二監督の作品に出演されるようになり、永瀬さんも原点は相米作品で、ついでジム・ジャームッシュの作品に出演、吉岡さんは『男はつらいよ』に『北の国から』じゃないですか。だから、けっこうバラエティに富んでいるんですよ。そして、みなさん、これまでのものを背負いつつ、やはりライバル意識もあったんじゃないでしょうか。「決して負けたくない」といった。それが緊張感と迫力を生んでいるんだってことを、奥田さんと話して気づきました。
──なるほど、それは面白いですね。一流の人たちのそういう意識や演技を視て、瑛太や綾野剛、窪田正孝、坂口健太郎といった若手の人たちも刺激を受けたでしょうね。
そう思います。みんな、浩市さんと絡むときは目の色が変わっていましたから。
──俳優の話でいうと、驚いたのが警察に詰めているマスコミの記者を演じた人たちでした。だれもが記者らしい風貌をしていて個性があり、劇中のさまざまな局面で、この記者はどう考えているのかがわかる気がしました。
そう言ってもらえるとうれしいです。実は原作者の横山さんから言われていたんです。記者の描写をおろそかにしないでくれと。これまでの映画に登場する記者たちって、物語の説明係で終わることが多かったじゃないですか。役名も、多少台詞があっても記者A、B、Cみたいな。そういうのはやめてくれと。それぞれに人格が在って会社を背負っている人間たちなのだから、一人ひとりの性格が解るようにしてくれと。横山さん自身が新聞記者出身なので、これまでの描かれ方は嫌だったのでしょうね。
──記者役のなかには、最近よく見る名脇役の宇野祥平や、『ヘヴンズ ストーリー』にも出ていた菜葉菜もいて、いい芝居をしていましたが、ほかの俳優さんは正直言って知らない人も多かったです。でも、ほんとにみんな良くて、彼らの存在や演技が作品の厚みになっていると思います。
8割くらいはオーディションで選んだのですが、最初、どの役をやってもらうか決めずにいろいろ設定を変えて芝居してもらって、それをみて段々とあなたはこういう会社の記者でこういう性格でと決めていったのですが、そこは丁寧にやりました。多くの人がインディーズの作品などに出ている俳優さんたちなのですが、彼らが集まることでいい意味でごった煮感が生まれたと思います。そこに浩市さんや綾野くんが入っていくと、さらにごった煮感が増して面白かったですね(笑)。
──メイン俳優たちの迫力あるぶつかり合いに負けない厚みでした。そんななか、異彩を放っていたのが、交通事故で亡くなった老人を演じている俳優・大久保鷹です(笑)。唐十郎の状況劇場から観ている人間にとってはうれしい出演でした。
鷹さん、良かったでしょう(笑)。大抵の俳優が何かをしたがるのに、あの人だけはほんとになにもしませんからね。飄々としていて貴重ですよ、あの芝居は。
──原作者の横山さんから言われていたことは、ほかに何かありましたか?
実は、映画は原作と終盤の展開を変えているのですが、そのことについて横山さんとかなり話し合いました。横山さんにとって、主人公が警察の広報官であるということが特別なことで、それは十分わかるのだけれど、どちらかというと僕らはひとりの父親、ひとりの人間としての主人公を描こうと思った、その違いですね。だから、横山さんにとっては映画での展開を認めることには忸怩たる思いがあったのかもしれないです。映画を観てもらったあと、「人間は望んでいない仕事に就いたとしても、そこで思ってもいなかった果実を得ることもあるのではないか」という、小説のラストに込めた思いを初めて横山さんから聞いたんですが、それには強く胸打たれたました。ただ、僕らの選んだ映画ならではの終わり方も、これはこれであるだろうとは今も思っています。
(Lmaga.jp)
