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G1競艇名人戦 とこなめボート12R優勝戦

昨年2着の

リベンジ 今村


2011/04/24 とこなめボート

                                   
▼G1競艇名人戦 とこなめボート12R優勝戦
着順連番 選手名 住所進入 ST
1着 @ 今村 豊 山口 @ 05
2着 D 北川幸典 広島 D 06
3着 E 新良一規 山口 E 13
4着 B 中村裕将 東京 B 13
5着 C 岡  孝 徳島 C 13
6着 A 森脇 徹 山口 A 08

  今村が昨年の雪辱を果たした。優勝戦は1号艇の今村豊(49)=山口・48期・A1=がインからコンマ05のトップSを決めて快勝。人気に応える走りで、名人戦初優勝を飾った。これでG1は通算44回目のV。2着は5コースのカドから仕掛けた北川幸典、3着は新良一規が入線した。6日間の売り上げは、目標の68億円を上回る71億円だった。

西島義則

名人戦を初制覇し、1000万円を獲得した今村豊

凡機もなんの!

会心レースで決めた

 

 ついに“名人”の称号を手に入れた。昨年の優勝戦はインを確保しながらも、2コース西島義則の差しに屈して2着。その雪辱を果たしたが「名人とは言ってほしくないなあ。まだ先輩方はたくさんおられるし、早過ぎるよ」と照れたような、困惑したような…。49歳で、2度目の名人戦挑戦。「新鋭王座を勝ったのも2回目(87年多摩川)。これも2回目。ちょうどいいのかも」と笑い飛ばした。


 2日目からゼロ台を並べ続けたSは、最後もコンマ05。「最近Sは恐ろしいくらいに決まっている」と自らも驚くほどだ。会心のトップSからしっかりと逃げ切る完璧なレースだった。


 しかし、優勝への手応えは当日の特訓まで得られなかったという。54号機も「引きたくなかった」エンジンだった。3月のMB大賞で海野康志郎が全く出ていないのを見ていたからだった。初日、2日目も「今節の優勝はないな」とあきらめかけたほど。それを4日目に組み直したのが奏功した。「準優で良くなり、最終日もさらに良くなった」と振り返った。
 “名人”と呼ばないで―。その、一番大きな理由はやはりこれ。「黄金のヘルメットをかぶりたい。年齢的に無理かもしれないけど、若い連中と勝負したい」。だから、名人だが“名人扱い”はご免。まだ手にしていない賞金王の称号を目指し、ボート界のプリンスは走り続ける。(浅野将之)

 


西島義則

1周1M

【1M主導権握って逃走】

 S展示は12346・5の5対1だったが、本番は枠なりの1234・56に変わった。風もなく絶好の水面コンディション。そんななか、インの今村がコンマ05のトップSを決めて1Mを先取り。そのまま主導権を握って押し切った。また、5カドから北川が勢いよくまくってきたが、2コースの森脇と接触して勢いを失う。さらに大外から新良がまくり差してくる。2着争いは北川と新良に絞られたが1周2M、外から全速戦を決めた北川の2着が確定。3着は新良。

 

 

 

 

北川幸典 2着

 脚はいい感じで仕上がったし、Sも冷静に行けた。やるだけのことはやったので満足。

 

新良一規 3着

 絶好の展開になったが、今村君とはバックの伸びが違った。自分なりには納得の仕上がり。

 

中村裕将 4着

 Sで遅れた。1Mで前があいたけど、届かなかった。

 

岡 孝 5着

 もう少しS行きたかったね。準優の取りこぼしが痛かったけど、今節は運も良かった。

 

森脇 徹 6着

 北川選手が来たから、そのまま行くしかなかった。脚は良かったし、いいSも行けた。

 

 

 

 

 今村 豊(いまむら・ゆたか)61年6月22日生まれ、49歳。山口県小野田市出身。本栖研修所48期生。81年5月の徳山でデビューし、初出走初勝利。さらに初優出(3着)を決める。初優勝は82年4月蒲郡。同年5月、住之江笹川賞でSG初出場。同年7月丸亀周年記念でG1初優出初V。SGは10年蒲郡MB記念など優勝7回。身長163センチ、A型。生涯獲得賞金は25億4946万9272円。(24日現在)

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