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“怪優”鶴見辰吾 公私ともに走り続ける51歳…「人生の転機」とは

 10代からトップ俳優として走り続ける鶴見辰吾。活躍の幅はついに海を越えた=東京都目黒区のホリプロ(撮影・出月俊成)
 趣味の話になると目を輝かせた鶴見辰吾(撮影・出月俊成)
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 50代を迎え、名優としての地位を盤石なものとしている俳優・鶴見辰吾(51)。その一方で、趣味のロードバイクでは1日200キロ以上を走破し、マラソンでは3時間9分台という好タイムをたたき出すアクティブさも。5日には「51歳の初マラソンを3時間9分で走ったボクの練習法」(SB新書)も出版した。公私ともにますます盛んな鶴見が迎えていた、人生の転機とは-。

 ◇   ◇

 多彩な演技でどんな役でもこなす“怪優”と名高い鶴見。50代とは思えない若々しい風ぼうだが、デビューから40年弱、想像を超える苦労を重ねてきた。

 俳優を目指したきっかけを「宝塚なんですよ。宝塚が好きな叔母に連れられて、見に行ってたのがスタートです」と説明。中学1年時にその叔母に勧められ、テレビ朝日系ドラマ「竹の子すくすく」のオーディションに参加した。「叔母が『片平なぎさの弟役なんだけど』って言ってきて。芝居にもちょっと熱が冷めていたころでしたが、『片平なぎささんに会える?』って思って」と振り返った。

 子役の経験者などがそろう中、鶴見は合格。だが「その後、俳優を続けていこうなんてほとんど思ってなかった。2回目からは甘やかされないし、怖いじいさん監督もたくさんいるし…」と、俳優を本業とすることには消極的だった。

 そこで迎えた最初の転機が、79年放送開始のTBS系「3年B組 金八先生」への出演だった。「もう辞めたいなとか思いながらも、2年ぐらいたって『金八先生』に出たんですね。決定的に、僕の顔と名前が一致する作品になった。いまだに役名までを覚えててくれるというのは、すごく大きい出会いだったですね」という。

 杉田かおる(51)が演じる女生徒と恋愛の末、妊娠させてしまうという衝撃的な役柄。世間の耳目を集め、最終回は視聴率39・9%をマークする国民的作品となった。若くして俳優としての大きな実績を作った鶴見。だがその実績はそのまま、自身を苦しめる足かせともなった。

 「やっぱり、そこからの脱却。『金八先生』と言われるのすら嫌だという時期もあった。他にもっとできるのに…と。デビューが『金八先生』だと思われてて、そう言われるたびに反論もしてみたり。今となっては幼かったなと思いますけど」と当時の苦悩を振り返った。

 その後も80年に映画「翔んだカップル」で薬師丸ひろ子(52)の相手役を務めるなど「女の子とちょっとませたことをするアイドルみたいな感じになっていた」という。「それが自分でも嫌で、僕は松田優作さんとかブルース・リーに憧れていた。そういうのをやりたいけど、やりたいこととやらされることのギャップがあって、常にフラストレーションを感じてました」という状況だった。

 そんな中で、役者を辞めてサラリーマンになろうと考えていた時期もあったという。だがそこで訪れた、第2の転機が、“伝説の作品”との出会いだった。「高校3年生の時、山田太一さんの脚本で『早春スケッチブック』(フジテレビ系)というドラマがありまして、これはいまだに演技のワークショップなんかで題材にされてるぐらい、隠れた名作とされてるんですが、それに出演したことで、初めて大人の演技者の仲間入りをさせてもらったところがあって、その作品に出てから覚悟決めて役者をやっていこうと思いました」と明かした。

 それまで「アイドル」の枠として活動してきた鶴見にとって、衝撃的な“大人の世界”だった。「共演者は岩下志麻さん、樋口可南子さん、山崎努さん、河原崎長一郎さん、こういった中で、青春映画の群像の一人ではなく、大人の中の一人として演じなきゃいけない。『そんなことじゃ山崎さんに失礼だよ!』って演出家の厳しい叱咤(しった)もありました」

 中でも、山崎努(79)からは、思わぬ“英才教育”を受けた。「楽屋が一緒だったんですよ。山崎さんからの要望で、鶴見と楽屋を一緒にしてくれと。大俳優が、18歳の少年と楽屋を一緒にしろなんて、そんな俳優さんは今、いないですよ。常に緊張はしましたけど、今思ってみれば、本当に真剣に、共演者の一人である私の、できなかった演技を底上げして、自分たちの所まで近づけようとしてくれてたんですよね。愛情だったと思います」としみじみ振り返った。

 「金八先生」のような大ヒット作ではなかったが、鶴見の中に残した爪痕は大きかった。「おかげさまで、その評価も良くて、視聴率こそそれほど良くなかったんですけど、隠れたファンも多くて…『金八先生』は人気と認知度の飛躍が、『早春スケッチブック』は演技の飛躍みたいなものが起こった作品だったと思います」とその価値を口にした。

 自らを「わがままで、のろまのくせにせっかちという、最悪なやつ。落ち着きがなくて、面白い所にふらふら行っちゃう」と称する鶴見。「それをブレーキするために、ランニングしたり自転車乗ったりして、自分を律してるんじゃないのかな」と冗談交じりで話した。

 マラソンの練習法を記した自著については「まったく自己流なんですよ。その僕があれよあれよという感じで3時間前半で走れたのはどうしてなのかというのをお伝えしてる」としつつ、「ランニングの面白さと、これから元気なジジイでいるために、ランニングに限らずスポーツで健康をキープしていくことを考えるきっかけになっていければいいかなと」と目的を語った。

 脂の乗りきった50代、今後への思いを問うと「われわれは、役のオファーやオーダーがきて、それを演じていくので、その都度その都度の課題に真摯(しんし)に当たっていくという作業の繰り返しなんですが」と前置きしつつ、「あえて言うなら、若い時には出せなかったニュアンスであったりとか、おかしみであったりとか、そういうものが画面やら舞台上で醸し出せるようにしていきたいと思いますね」と語った。

 さらに「現場でしっかりと若い人を従えて生き生きとしてる、そういう居方のできる俳優になりたいなと思います。若い人からタメ口というか、緊張なく接してくれるようなジイさんになりたいですね」という。その鑑(かがみ)となるのは、やはり「金八先生」だった。「武田鉄矢さんは、若い僕らに緊張させずに、本当に親しみやすい学校の先生みたいに接してくれた。だから僕も、若い人からツッコまれる、ラブリーなジジイになりたい。心配されるんじゃなく、誘われるようなジイさんになりたいですね」とニヤリ。深い人生経験から醸し出される、味わい深い笑みだった。

 ◆鶴見辰吾(つるみ・しんご)1964年12月29日生まれ。東京都出身。成蹊大学法学部卒。1977年10月、テレビ朝日系ドラマ「竹の子すくすく」で俳優デビュー。79年、TBS系ドラマ「3年B組 金八先生」の第1シリーズで宮沢保役を演じて話題に。11年、「マイウェイ 12,000キロの真実」で韓国映画にも出演。趣味はロードバイクで、07年に自転車活用推進研究会から「二代目自転車名人」に認定される。

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