【5】持ち球フェードからドローで開花

 「室田淳の鉄人トーク・第5回」

 お世話になった上原宏一プロ(故人)の出会いとともに、もう一つ、僕のゴルフ人生で大きなターニングポイントがあった。それは40歳を前にスイング改造に取り組み、球筋を変えたことです。

 僕は若い頃、河川敷のゴルフ場でよく練習していた。河川敷は風が強くて地面も硬い。当時はフェードボールがはやっていたこともあって、自分も低めのライナーを打ってたんだ。このフェードを持ち球にプロの世界でもずっと戦ってきて、92年には自己最高の賞金ランク6位にも入ることができた。

 でも、95年にマスターズ中継のリポーターの仕事でオーガスタに行った時に「自分の持ち球じゃ、距離の長いこのコースは攻略できないぞ」と感じたんだ。プロとして、もっと上のステージに行きたいと思っていたので、このままじゃダメだと危機感を持った。

 で、その年から高いドローを打つように変え始めたわけ。最初は「オレもプロなんだから2年もやりゃ、試合でも使えるようになる」と軽く考えていたけど、これが思った以上に大変だった。練習では打てるけど試合で打てない。ドローは右に打ち出して左へ曲げていくわけだけど、右サイドにOBがあるときは、そのまますっぽ抜けちゃう恐怖感があるわけよ。それを怖がって急激に手首を返すと、今度はひどい引っかけが出る。いつも試合でドタバタしっぱなしで、結局、元のフェードに戻すということを何年間も繰り返した。

 そうこうするうちにフェードもうまく打てなくなって、賞金シードも落としてしまった。そうなったらもう覚悟を決めるしかない。「OBでもいいや」って開き直ってドローを打っていたら、だんだんとうまく打てるようになったんだ(笑)。

 当時、ドライバーはパーシモンからメタルやチタン、ボールも糸巻きからツーピースに変わった頃だった。道具の進化で、アッパー気味に巻き込むように打っても、それほどボールが曲がらなくなったことも良かった。やっとドローをものにしたのが40代半ば。そして01年のカシオワールドで7年ぶりに優勝することができた。

(協力 ザ・リッツ・カールトン大阪)

 ◆室田 淳(むろた・きよし)1955年7月26日、群馬県出身。太田高を経て日体大に進み、19歳からゴルフを始める。27歳でプロテストに合格し、91年のブリヂストン阿蘇オープンで初優勝。ツアー通算6勝。昨季は日本オープンで6位に入るなどし、史上最年長59歳にして賞金シードに返り咲いた。シニアツアーでも通算12勝を挙げ、06、07、13年と3度賞金王に輝く。家族は妻と3女。180センチ、80キロ。サメジマコーポレーション所属。

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