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元虎戦士・藤本敦士 引退手記【1】

花束を手にファンの声援に応えるヤクルト・藤本敦士=2013年9月24日、神宮
 ヤクルト・藤本敦士内野手が、今季限りで現役を引退を発表した。育英、亜大、甲賀総合専門学校、デュプロを経て、2000年ドラフト7位で阪神に入団。2010年からはヤクルトでプレーした。プロ13年間を振り返る手記を寄せた。
   ◇   ◇
 引退を決意したのは7月です。6月に腰の痛みが限界に達し、検査を受けると、医師から椎間板ヘルニアの再発を告げられました。どうしますか?手術しますか?と聞かれたのですが、2度目の手術、まして、自分はバリバリのレギュラーでもない。翌年どうなるか分からない立場の人間が、手術する時間の余裕なんてありませんでした。注射を打ちながらやってみますと伝え、回復を信じました。でも、一向に良くならなかった。スイングも、守りも、走塁もできない。1カ月間、我慢してやったのですが、どうしようもありませんでした。リハビリをして、少しでも光が見えたら頑張ろうと思っていたのですが、なかなか…。

 キャンプ中から、予兆がありました。いきなり右太ももを肉離れして、そのままテーピングを巻いて練習をしていたら、次は左足をやって、また右に戻って、治りかけたと思ったら、また左足にきて…。昔のヘルニアの症状に似ているなあと嫌な感じはしていました。今思えば、ヘルニアが原因で体全体のバランスが悪くなっていたんだと思います。それから、だんだん症状がひどくなっていきました。何度もブロック注射を打ちながら痛みを抑えていたのですが、5日間効力のあったものが、4日になり、2日になり…。最後は1日で効果がなくなってしまいました。もはや治す気力が尽きたというのが、本音でした。手術した3年前に、次やったらもう終わり…と覚悟ができていたので、今回の決断に迷いはありませんでした。

 腰の状態が上向かず、うすうす「引退」を意識し始めたのは、2年前でした。嫁さんに、いつ伝えようか考えていました。でも、土壇場でその思いは覆りました。シーズン終了間際、広島との最終戦で、僕はマエケン(前田健)のノーヒットノーランを阻止するヒットを打って、そのままCSに帯同することになったのです。代打でしたが、試合に使ってもらえました。まだ、こういう道で生きていけるかもしれない。まだ野球を続けろということかもしれない。光が見えたので、踏みとどまりました。あそこで何の出番もなく終わっていたら、その時点で決断していたかもしれません。だから、今は悔しさよりも、あれから2年間も野球を続けられたという、満足感の方が大きいのです。

 嫁さんにはなかなか言い出せませんでした。いつ言おうか、いつ言おうかって…。8月は夏休みで、嫁さんと子供たちが東京の家を離れていましたから、電話で言うのも失礼だと思って、帰ってきた日に、すぐに言いました。オレ、引退するよ‐。そしたら、「13年間、よく頑張ったね」って。それを言われたときは、正直ホッとしました。一気に肩の荷がおりました。

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