広島のリーグ2連覇の影にナイン支えたトレーナー部門の尽力

 広島のリーグ2連覇は、トレーナー部門の支えがあったからこそ成し遂げられたものだ。セ・リーグ6球団の中で最も西側に本拠地を構えるため、マツダスタジアムでのナイターの翌日に東京でナイターがある場合は、約4時間の長旅後に試合を行う。新幹線の中で寝ていればいい、という声も聞くが、移動による体への負担は多かれ少なかれ当然あり、疲労は残る。

 そんなハンディをものともしなかったのはトレーナー陣の存在があったからだ。7月最終週からは7週連続で6連戦があり、8月からは毎カード球場が異なった。8月23日のDeNA戦で鈴木が偶発的なアクシデントにより右足首を骨折したものの、それ以外に故障による長期離脱者はなく、戦力を維持し続けた。地理的状況は変えられない中で、裏方が選手をサポートし続けた。

 故障者を出さないのが基本方針。ケガの予防に最も力を入れ、客観的な数値を基にして治療やコンディショニングを行ってきた。体の各部の機能を評価したり筋力を測定したり、良いパフォーマンスが出せない数値が出ていれば、練習メニューの変更や代打での出場、さらには休養を首脳陣に提案した。短期、中期、長期と3つに分け、戦力を落とさないためには何が最善なのかを考えた。

 選手の主観、トレーナーの感覚や経験だけに頼ることは決してしない。体脂肪を計測して、それまでの数値と変化があれば、食事の改善を促したりすることもある。5月に菊池が下半身のコンディション不良で欠場したときも、機能評価を行った結果、プレーを継続すれば今後、大きな故障につながる可能性があると判断したためだ。

 「できるだけ状態の良い選手を増やすことがトレーナー部の使命だと思っています。それが戦力の底上げにもなる。何かがあっても隠して治療に来ないというのが一番困る。言いやすい環境にはしています」と松原慶直1軍チーフトレーナー。選手と積極的にコミュニケーションを図りながら信頼関係を築いて、症状を覚えたときに言いやすい環境作りにも力を入れてきた。トレーナー間での連携を密にして情報共有しながら、故障を未然に防いできた。

 現在のトレーナーの構造などを作ってきたのは、石井雅也トレーナー部長だ。2000年頃、野村謙二郎、前田智徳、緒方孝市らの主力組にハムストリングなど下肢の故障者が相次いだ。復帰しても再発する選手が多く「同じことをやってもダメだな」と思い、松田元オーナーと話をし、海外視察を嘆願。アメリカやドイツの施設を訪れ、カープの現状を照らし合わせながら問題点を洗い出し、新たな方法や仕組みなど具体的な改善策を模索したのが始まりだ。松田オーナーは「トレーナー部門は大事なところだった」と重要性を説いた。

 米アリゾナ州にある「アスリート・パフォーマンス」というトレーニング施設にヒントがあった。治療を終えるとすぐに競技復帰という形を取っていた現状を検証し「その間が抜けていた」。選手にとって「治療終了即復帰」とはならない。高いレベルでの筋力やスピード、持久力などの機能を回復してこそ、グラウンドに立つことができる-。その考えから「アスレチックリハビリテーション」という故障した選手を早期に競技復帰させることを目的としたリハビリを取り入れた。また、メジャーリーグのDL制(故障者リスト)のような3軍制度を12球団で初めて作るなど、体の基本機能改善→技術練習→実戦復帰というシステムも構築した。

 「アスリート・パフォーマンスのやり方を始めた翌年は、ハムストリングのケガが10分の1になりました」。故障者が復帰を目指す場となる大野練習場(広島県廿日市市)のリハビリ施設を全面改装。アメリカで経験を積んで全米公認アスレチックトレーナー(ATC)の資格を持ち、アスレチックリハビリテーションが行える人材もリクルートしてきた。松原1軍チーフトレーナーもその一人で、04年に当初は3軍トレーナーとして迎えた。近年では米国代表として五輪でメダリストになった陸上選手を担当していた三浦真治アスレチックトレーナーや、米国人でも入るのが難しいレッドソックスでの実務実績がある梶山聡司アスレチックトレーナーが新たに加わった。

 十分な施設も重要な要素だ。転機は09年に完成したマツダスタジアム。石井部長が松田オーナーから手渡されたのは、白紙の設計図だった。すると石井部長はその紙に米フットボールNFLでスーパーボウル6度の優勝を誇る名門、ピッツバーグ・スティーラーズのトレーナー室を模してペンを走らせたという。特徴的なのはトレーナー室が全面ガラス張りになっていること。選手ロッカーも風呂場もすべて可視化することで、選手の動きや表情が分かり、わずかな変化でも読み取れるようにした。

 ベッド8台を並べられる圧倒的な広さは誇れる部分だという。「他球団のトレーナーが部屋を見たとき、ほとんどの人が驚きます。オーナーにはいろいろな提案を伝えたとき、ダメだと言われたことは一度もありません」。また10年に広島大学病院と救護活動に関する合意書を締結し、本拠地での試合には同病院の医師1人が待機している。傷病への対応が迅速になり、故障者の復帰も早くなった。

 石井部長は「ようやく軌道に乗ってきた」と目尻を下げる。設備などのハード面の整備、そして人材というソフト面の充実。20年近くの歳月をかけた取り組みが、大きな花を咲かせた。(デイリースポーツ・市尻達拡)

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