遠藤周作の小説「沈黙」の舞台へ 今も残る弾圧下を生き抜いたキリシタンの跡

 出津教会近くの高台からのぞむ。ここからキリシタンが五島列島へ手こぎ船で向かった
 キリシタンは「祈りの岩」に潜みオラショを受け継いでいった
 遠藤周作も訪れた黒崎教会
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 江戸時代のキリシタン弾圧を描いた遠藤周作の小説「沈黙」を、ハリウッドの巨匠マーティン・スコセッシ監督が映画化した。遠藤が作中で描いた、キリシタンが住む架空の集落「トモギ村」は映画にも登場する。モデルになったのは長崎市外海(そとめ)地区。拷問にさらされたキリシタンが五島列島への脱出を図り、手こぎ船で出航した浜が今も残る。「沈黙」の舞台を訪ねた。

 ◇   ◇

 火あぶり、全身をすまきにして肥だめに逆さにつるす穴づり、果ては斬首。豊臣秀吉が1587(天正15)年に出した宣教師追放令に続き、江戸幕府も1614(慶長19)年に禁教令を布告。弾圧は過酷さを増していく。遠藤が描いたトモギ村のキリシタンも迫害にあった。映画にも早い段階で登場する。

 遠藤が小説のモデルとしたのは長崎市外海地区。長崎市中心部から北西に位置する。「沈黙」を著すにあたり、遠藤は何度も長崎を訪れた。弾圧下のキリシタンが生き抜いた心象風景を求めた。

 同地区にある枯松山には「祈りの岩」がある。人が数人隠れることができる一枚岩で、キリシタンはここで「オラショ」と呼ばれる祈りの言葉を練習した。文字として残すことはできず、人目に付く場所で練習はできないため、岩陰に隠れて口づてに受け継いでいった。

 「祈りの岩」から遠くない場所に黒崎教会がある。遠藤はここを訪れ、神父やキリシタンを取材したという。入り口に近づくと賛美歌を歌う女性の声が聞こえた。ドアを開けて中に入ってもこちらを一瞥(いちべつ)もせず歌に集中していた。

 外海地区の発展に寄与した人物にフランスの貴族出身ド・ロ神父がいる。禁教令が解ける1873(明治6)年より前、キリシタンへの弾圧が続く1868(明治元)年に来日した。横浜で布教後、1879(明治12)年、同地区に赴任。出津(しつ)教会主任司祭となった。母親から受け継いだばく大な私財を投じて医学や建築などの発展に寄与した。

 ド・ロ神父は74歳で亡くなるまで一度も母国に帰らなかったと、赤窄(あかさこ)須美子シスターが説明してくれた。子孫を残さなかったのだろうか。「神父は結婚してはいけないのです」とシスター。それは知らなかった。でも、恋人くらいはいたのでは。「当時はさまざまな意味で厳しい時代でした。そのような女性はいなかったでしょう。そういう意味でも神父には簡単になれるものではないのです」

 なるほど。しかし、健康な男がエッチをまったくせずに正常を保てるものだろうか。質問を重ねたかったが初対面の女性、しかもシスターにくどくど尋ねることではない。沈黙を守った。

 ◆長崎へのアクセス

 大阪空港と長崎空港は日本航空と全日空が、関西空港と長崎空港はLCCのピーチが結んでいる。神戸空港と長崎空港はスカイマークが結んでいる。LCCやスカイマークの場合、時期や条件によって相当お安く買えることも。

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