鳥取・倉吉~白壁土蔵の街【上】

 ミス打吹天女の川畑沙絵さんが「ほどき紙」で悪縁断ち=倉吉市の打吹公園
 白壁土蔵群の街
2枚

 鳥取県倉吉市といえば古い城下町で、白壁土蔵(しらかべどぞう)の街並みが情緒豊か…らしい。倉吉の人がそう説明してくれたが全く知らなかった。白壁土蔵も「はくへきどくら」と読んでしまったほど。何の知識もなく訪れた倉吉は、俳優の故三國連太郎さんの知られざるエピソードを知ったり、大阪の土佐堀川にかかる淀屋橋を作った豪商「淀屋」との出合いがあったりと驚きの連続。関西とはもうひとつなじみの薄い倉吉の魅力を2回にわたってお届けする。

 ◇   ◇

 倉吉の街を歩いているとメチャクチャなイケメンの写真を発見した。小さな写真館のウインドー。横顔で、髪はカットしたばかりのように刈りそろえてサイドをなでつけている。かなり古い。

 街ガイドの福井千尋さん(73)が「誰だか分かりますか?」と聞いてきた。何となく見覚えがある。俳優の佐藤浩市っぽいような。…ああ、三國連太郎さんだ。福井さんに答えると正解だった。

 三國さんの写真を展示しているのは「ミタ写真館」。福井さんによると三國さんは20代のころ倉吉市に住んでいた。ちょっとした暴れん坊だったという。話をしていると写真館から店の人が出てきた。「どうぞ中に入って見てください」

 招いてくれたのは店主の見田久美子さん。久美子さんによると創業者の見田謙太郎さんが、写真館に遊びに来ていた三國さんを撮影し、当時、新人を募集していた松竹に送った。すると松竹から旅費1万円が送られ、三國さんは東京へ。しばらくして俳優として成功を収めた。三國さんは謙太郎さんに恩義を感じていたようで、亡くなった時には花を贈ってきたという。

 ガイドさんがいてよかった。いなければ写真を見ても通り過ぎていただろうし、店の人と話す機会もなかっただろう。

 他にも意外な建物があった。倉吉の商家建物の中で最古の「倉吉淀屋」だ。1760(宝暦10)年の建築。市の有形指定文化財でもある。

 「倉吉淀屋」の由来は江戸時代の大坂の豪商「淀屋」。「淀屋橋」の語源でもある。豪勢を極めたことも手伝って幕府から取りつぶしとなった後、淀屋の屋号を称する牧田家が倉吉で商売を始めた。牧田家は淀屋の番頭だったとの説もある。

 ガイドさんは近くの「大蓮寺」に案内してくれ「淀屋清兵衛」の墓を教えてくれた。最近までこけに覆われていて顧みられず、歴史的な検証はこれからだという。

 読み方もよく分からなかった倉吉の「白壁土蔵」の街。再訪するとまた別の出合いがありそうだ。

 ★アクセス JR大阪駅から倉吉駅まではスーパーはくとを利用して片道約3時間。料金は同7230円。

 ★ミタ写真館 倉吉市堺町2の923

 ★倉吉淀屋 倉吉市葵町722 午前9時~午後5時。休館日は年末年始。問い合わせはTEL0858・22・4419

 ★打吹公園 倉吉市仲ノ町3445の1 ほどき紙に関する問い合わせは倉吉白壁土蔵群観光案内所(TEL0858・22・1200)

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