悠輔の涙が意味するもの

 【9月14日】

 大山悠輔が泣いていた。岡田彰布が甲子園の夜空に舞った歓喜の輪の中で、目を真っ赤に腫らし、あふれる涙を拭っていた。Vセレモニーを終え、ベンチ裏に姿をあらわした悠輔と握手を交わした。

 どんな涙だったのか。ストレートにそう問えば、悠輔は言った。

 「すべての…」

 すべての?そう聞き返すと、まだ少し腫れた目を拭って答えた。

 「今まで色んな経験をしてきて…。良いことも苦しいこともありましたけど、やっぱり苦しいことのほうが多かったので…。こうして優勝できて、ホッとした部分と今までの悔しさがすべて…」

 私情と無縁の指揮官が1試合も4番を外さなかった男である。時に悔しさで震えた大きな背中を僕も何度か見てきた。これまで保っていた感情の結び目が大願成就とともにほどけたのかもしれない。 この瞬間を一番に報告したい人は?そう聞けば、悠輔は視線を少し宙に巡らせながら「野球に関していえば…」と切り出した。

 「じいちゃんですね…」

 小学生、中学生、高校生、大学…自らの「野球人生」を振り返ったとき、祖父の顔が真っ先に浮かぶ。共働きだった両親は家をあけることが多く、悠輔は父方の祖父母と過ごす時間が多かった。少年野球の時代からグラウンドへの送迎や弁当の準備は、元球児の「じいちゃん」が担ってくれた。

 「高校、大学になっても、ほとんどの試合に来てくれました。野球選手として今の自分があるのはじいちゃんのおかげ。もちろん、その陰で、ばあちゃんは家のことをしてくれて…。僕が酷いインフルエンザを患ったときにはずっと看病してくれたんですけど、それが移ってしまって…。逆に、ばあちゃんの症状のほうが重くなってしまったり。じいちゃん、ばあちゃんには感謝してもしきれないくらいの恩があります」

 いま、祖父に晴れ姿を見せる機会は年に一度。茨城の実家から甲子園へ招待する観戦日にできるだけ大きな弧を描きたい。

 「今年、じいちゃんが甲子園に来てくれた日に戸郷投手からホームランを打つことができて…。あの一本はうれしかった」

 7月27日の巨人戦で戸郷翔征から同点アーチ。祖父の座るスタンドへ思いを馳せ、心中で拳を…そして、茨城へ帰る祖父へそっとホームランボールを手渡したのだ。

 幼き頃から祖父に連れられ何度か東京ドームへ足を運んだ。当時悠輔少年の憧れは松井秀喜であり高橋由伸だった。阪神は第一次岡田政権の時代。由伸がジェフ・ウィリアムスから放ったホームランは「よく覚えている」。

 二人三脚で夢を叶えた大切な存在へ、まさか巨人戦で悲願を届けることができるとは…故郷を思えば、胸がいっぱいになる。

 「一番たくさんキャッチボールをしてくれた相手がじいちゃんでした。その恩を、少しずつでも返していけたら…」

 大一番の先制犠飛を甲子園から故郷へ届けたけれど、報恩はまだもう少し先にある。=敬称略=

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