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あの悲劇から32年…

 【10月21日】

 縁あって関西財界の大物と食事する機会があった。8~9年前の話だ。案内された場所は東京千代田区の高級ホテル。なかなか出張では泊まれない老舗宿の中華料理店でその方が教えてくれた。

 「このホテルで昔、阪神の方が投身自殺しましたね…」

 1988年、夏のこと…。

 午前3時45分頃、同ホテルの日本庭園で男性が血を流して倒れているのを警備員が発見し、麹町暑に通報。同署の調べで阪神球団専務取締役、球団代表の古谷真吾さんであることが分かった-。

 デイリースポーツは当然この悲劇を1面で報じた。

 当時の紙面によれば、その夜、古谷代表は兵庫・芦屋市内の自宅に電話をかけ、夫人にホテル名を告げていた。電話を切るときはいつも「おやすみ」と言ったのに、「さようなら…」と。胸騒ぎした夫人は深夜0時に個人タクシーを呼び、急ぎ東京へ向かった。高速道路を飛ばし、6時間かけホテルに到着したときには、しかし、既に最愛の夫は帰らぬ人に…。

 88年といえば、ソウル五輪で競泳・鈴木大地の金メダルに日本が熱狂した年である。

 同年のタイガースは村山実新政権に再生を託されたが、2年連続最下位。優勝した中日に29・5ゲーム差をつけられる屈辱的なシーズンを送った。そんな暗黒期の真っ只中でとびこんだ悲報だった。

 古谷夫人は警察の調べにこう答えたという。「心労…それくらいしか思い当たるものがない…」。

 和田豊、大野久、中野佐資…村山から「少年隊」と名付けられた若虎トリオで世代交代をはかったシーズンだが、メディアを賑わせたのは〈グラウンド外〉のゴタゴタだった。R・バースが長男の病気問題で球団と揉め6月に退団。故障に泣いたミスタータイガース掛布雅之の引退も重なった。

 古谷はバース問題等お家騒動で親会社との板挟みに苦しみ…いや当時を知らない僕が臆測でああだこうだ書くつもりはないけれど、あれから32年経ったいま、ひとつ間違いのないことは書ける。

 阪神球団の思い、それは、ノーモア88年である。

 あの当時、高校生だった僕だけど、「掛布雅之引退試合」の記憶は映像とともに残っている。

 88年10月10日、甲子園-。

 セレモニーで場内一周する背番号31へ、マンモスの虎党は割れんばかり惜別の拍手を送った。

 実は、当日、一塁側アルプススタンドで阪神電気鉄道株式会社の新入社員が感涙の面持ちで座っていた。電鉄本社の動員要請ではもちろんない。野球を愛する一ファンとして休日に足を運び、ミスタータイガース最後の勇姿を目に焼きつけていたのだ。

 現在55歳になったその男は、32年目のキャリアを全霊で阪神タイガースに捧げている。

 あの年自ら命を絶った古谷と同じ立場…現球団本部長・谷本修である。レジェンド福留孝介の構想外が伝えられた日に思う。谷本はどんな胸中で今般一連の窮地を凌ごうと考えるのか…。=敬称略=

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