麦を見た8・7の夜

 【8月7日】

 広島の街で2シーズン半暮らした。毎年8月7日に南区出汐の自宅から平和記念公園まで歩いた。ダラダラ汗をかきながら、原爆ドームを元安川の対岸から眺める。あの3年間のルーティンだった。

 8・6の一夜明けは無事「平和式典」を終えた穏やかな景色がある。広島赴任1年目にそのことを知り、人がまばらになった記念公園で手を合わせることにした。

 「自分の国と、自分が今いる国が関わったこと。あの場所へ行っておくべきだと思ったんだよ」

 これは15年の8月6日、広島でM・マートンから聞いた言葉である。同日はマツダスタジアムでピースナイターが開催された。彼は試合前に原爆ドームへ足を運び、慰霊碑の前で目を瞑ったという。

 コロナ禍で迎えた8月7日、僕は兵庫県でこれを書いている。球界では取材制限が続き、20年前のルーティンは叶わないけれど、今年も8・6は朝8時から平和式典をTV中継で見た。「平和だから野球ができるんだ」。マートンの言葉を噛みしめる日にしたい。

 「原爆の日」で思い出すのは11年。当時タイガースの新井貴浩から聞いた話である。

 「中沢さんのお見舞いへ行ってきます。○○病院です」

 中沢さん……漫画『はだしのゲン』の作者・中沢啓治である。

 新井は小学校時代の恩師の仲介で、がん闘病中だった中沢の入院先を訪れたわけだけど、両人の交流は、僕のなかでは、なんだか現実離れ(?)の間柄に聞こえた。

 小学生時分の平和学習で初めて映画『はだしのゲン』を見た。そのときのショックはとても言葉で表現できないし、日常とはあまりにかけ離れたもの……あの作者と新井が!?うまく表現できないけれど、そんな感覚だった。

 広島出身の新井は『はだしのゲン』を読んで育った。中沢は生来のカープファンであり、なかでも新井の生きざまが大好きだった。病室で中沢は色紙にメッセージをしたため新井へ手渡したという。

 「麦のように生きろ!」

 何者に踏まれようが雨風になぎ倒されようが、たちあがる麦のように-。この夜、マツダスタジアムの放送席に座る新井を見て思い出した。中沢が永眠した12年、彼が本当に寂しそうだったことを。

 阪神とカープが戦うとき、僕はいつも、プロ野球の世界で麦のように逞しく生きた新井の後継者を探す。カープでは息を吹き返した堂林翔太。ならば、阪神では…。

 この夜、六回、3四球、3失点…伊藤和雄である。投手の彼だけど、ケガに泣かされ続け、今年プロ9年目で初勝利を挙げた伊藤にこそ麦のような逞しさを、願う。

 伊藤の東京国際大時代の監督・古葉竹識はご存じカープを3度日本一へ導いた名将である。そういえば、伊藤が古葉から贈られた言葉を聞いたことがある。「ピンチの時こそ強気で攻めろ」-。

 七回のマウンドへ送り出した矢野燿大の思いに応えるように、和雄は腕を振った。「強気で」クリーンアップを3者凡退に封じたその姿に「麦」を見た。=敬称略=

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