誰のための練習なのか

 【9月11日】

 きのうの続きを書きたい。今季限りで東京ヤクルトのヘッドコーチを退任することになった宮本慎也についてである。宮本と僕は同い歳。同世代ならではの波長が合う…〈勝手に〉そう思っている。

 宮本慎也が「厳しい」指導者であることは、この業界にいればイヤでも伝わってくる。そのスタンスが今の若い人に受け入れられるかといえば、難しいと思う。世代間のギャップはプロ野球界に限らない。僕らの世界でもそうだし、同窓会をすれば、僕の仲間は同じようなことで頭を抱えている。

 概して若い世代と〈うまく〉やる者が優秀とされる今の時代だけど、宮本のように信念をもって自らのスタンスを崩さない指導者を僕は尊敬する(いや、崩さざるを得ない状況もあっただろうか)。

 秋田で開催された09年のヤクルトVS阪神戦。その前夜、宮本が金本知憲を誘った食事会で、2人が熱い野球談議を交わしたことがあった-そんな話をきのう書いた。

 当時まだ現役だった両者だが、〈指導者論〉も熱かった。

 宮本「ノックを受けるとき、選手は打球を予測して早めにスタートを切るじゃないですか。指導者の中には、『おい、打ってからスタートを切れ』と言う人がいる。受けるほうは、ノッカーのバットの角度を読んだりしてスタートを切るでしょ。試合ではそういうことをするんだから、僕は、まったく問題ないと思うんですけど、金本さんはどう思いますか?」 

 金本「確かに、そういう指導者っているよな。バットの角度やボールの位置で、明らかに左へは飛んでこないときに、なぜ、ジッと待っておかなきゃいけないのか。典型的な練習のための練習だと俺は思うよ。誰のため、何のための練習なのか分からないよな」

 宮本は内野手で金本は外野手。宮本は1、2番を打つ打者で、金本はクリーンアップ。畑は違うけれど、当時金本は宮本についてこう話していた。

 「慎也は、一歩踏み込んだ話をできる人間だと思う」

 僕も宮本の「踏み込んだ話」が好きだ。誰かの顔色をうかがい、建前で語る指導者のウンチクは、面白みも、説得力もないので…。

 どの業界もそうだけど、指導する側が仕事放棄していることが少なくない。「うまくやること」に執心し、叱るべきところで叱らない。それを察する賢い若手は「あの人、仕事サボッてる」と気付くけれど、そうでない若手は「あの人、優しいから好き」となる。

 今回の「退任」をみてもよく分かるけれど、宮本慎也は保身とは無縁。誰が対象であれ「ダメなものはダメ」と言える指導者は、今の時代、希少な存在だと感じる。

 虎のお家はどうだろう…。それはまた次回書くとして、この夜は僕の同世代が好む若者について。

 金本はいつも「北條は跳ね返ってくる選手」と言っていた。指導者の「厳しさ」が誰の為か嗅ぎ分け、それがホンモノであると分かればとことん食らいつく。「踏み込んだ話」のできる若虎が躍動した夜は心地イイ。=敬称略=

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