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苦しいこと、悔しいこと

 【1月25日】

 品川駅の売店に「大坂なおみ王手!」の見出しをつけたスポーツ紙が並んでいた。全豪オープンテニス・女子シングルスで進撃を続ける大坂を各紙が1面で賑やかに報じている。1紙を除いて…。

 早朝から都内で取材があり、高輪のホテルを出て京急電車に揺られた。売店で買った本紙を縦折りにし、1面を読む。息を大きく吸いこみ、大きく吐いて、読んだ。

 読者もご存じのとおり、原口文仁が一時、チームを離れることになった。沖縄にも、安芸にも、いつもそこにあった94番の大きな背中が見えない2月を過ごすことになる。甲子園の球団事務所で取材した虎番によれば、阪神球団本部長の谷本修は「彼の、野球に打ち込んでいる姿は素晴らしいものがありますので、野球の神様に見ておいてほしい」と語ったという。

 谷本と同じ思いである。

 この欄で何度か書いたことがあるのだが、僕は無形のものを信じる。まるで霊感の類はないし、ずっと無宗教。それでも、いつの頃からか、神様、仏様、ご先祖様に手を合わせるようになった。「形のないもの?そんな非科学的な」と笑う人がいるけれど、じゃ、この世で科学的に説明できるもののほうが圧倒的に少ないことを、彼らはどのように説明するだろう。 野球の神様はいる。僕はそう信じているし、谷本のいうように、野球の神様はこれまでと同じように、これからも原口も見ている。

 「プロ野球選手に限らず、スポーツ選手は引退するときに『思い返せば、あっという間の競技人生でした』といわれる方が多いのですが、私の場合、今思い返してもあっという間の野球人生では全くなかった気がします。それだけ、うれしいこと、楽しいことよりも苦しいこと、悔しいことのほうがはるかに多い野球人生でした」

 これは24日夜、都内で開催されたある会で新井貴浩が約1000人を前に語った現役引退の挨拶。彼は続けて、こうも話していた。

 「しかし、沢山の素晴らしい出逢いに恵まれ、また、沢山の方々に応援していただいた幸せな野球選手だったなと思います。心からありがとうございました」

 ある会とは、新井が護摩行に励んできた鹿児島・最福寺の元法主で高野山別格本山清浄心院の池口恵観大僧正が催す新年の会。信仰心の向かう先は各々だけど、新井の場合、燃えたぎる護摩木の前で15年間毎年座禅を組むことによって無形の力が後押しした-そうとしか思えないほど、劇的に幸せな現役20年間のフィナーレだった。

 新井が語ったように、苦しいこと、悔しいことのほうが〈はるかに多い〉プロ野球界。努力ありきであることはいうまでもないが、入団してきた(力の拮抗する)者の大半が淘汰される世界で、成否を左右するわずかな(ときに大きな)差は、僕らの目に見えない無形の何かによって生まれている気がする。原口文仁という男をほんの少しだけ知る者として書いておきたい。彼がその無形の何かを味方につけられる限られた選手であることを。=敬称略=

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