「人生楽笑」の女神とともに
【10月19日】
JR渋谷駅の構内で10分ほど待っただろうか。約束の時刻から少し遅れて携帯電話が鳴った。
「風さん、ごめんなさい。ちょっと行けなくなってしまって…」
口調は弱々しく、いつも快活な声色は嗄(しゃが)れていた。
12年、秋のことだ。デイリースポーツの企画「いま、この人。」で彼女をターゲットにしたのは僕の独断。反骨心なんて一語では片づけられない魂に魅せられ、「また東京で取材を…」と再会を約束したのが、その半年前だった。
「はじめまして。中西麻耶といいます。あ、ちょっと待っててください。名刺を持ってきます」
義足の美人ジャンパー。最近はそう呼ばれる(?)中西との出逢いは沖縄・石垣島。ガンバ大阪のキャンプ取材で訪れた離島の競技場で、遠藤保仁ら日本代表組の調整を追っていると、その周回に異彩を放つランナーが…。華やかに走る様はただ者ではない。暫くの間、ただただ美しいフォームに見惚れてしまい、右側の義肢装具に気づくまでに時間がかかった。
彼女とは不思議な縁があり、あの取材から数年経っても、え!?と思うところで再会したり…っておい、おい!マツダスタジアムへ来るなら、連絡くらいしてよ。
カープが日本シリーズへ王手をかけた前夜、中西麻耶が始球式のマウンドにあがっていた。大阪生まれ、大分育ちの彼女が広島と繋がったのは、広島出身のカウンセリングコーチのおかげ。もっといえば、金本知憲や新井貴浩がトレーニング拠点にするジム「アスリート」にも、彼女は顔を出しているのだ。アスリートの代表室には金本との2ショット写真。何だか遠かった存在が、一気にこちらの世界に近くなった気がする。
北京、ロンドン、リオのパラリンピック日本代表であり、パラ走り幅跳びのアジア記録保持者。ご存じの読者も多いと思う。渋谷のドタキャン…その理由はここで触れないでおくが、僕も納得する相応のワケがあった。改めて応じてくれた取材で伝わってきた中西の苦悩は、恵まれたプロ野球界ではまず起こり得ないものである。
高校卒業後、友だちの父親が経営する塗装会社を手伝っていたときに、建設現場に並べてあった5トンの鉄骨がドミノ倒しのように脚に落下し、悩んだ末に右足のひざ下を12センチ残して切断。インターハイ、国体にまで出場したテニスの道を閉ざされることになった。
彼女の凄みは事故の後、もう一度テニスコートへ戻ったことだ。
「できなくて当たり前なんだから、あきらめたほうがいいのに。見れない夢は見ないほうがいい。私の周囲にそんな空気があったのが、とても嫌だったから…」
中西からそう聞いた。
彼女が赤いユニホームで投げた夜に新井が起死回生の同点打。のちに振り返れば、この一撃がVの起点になりそうな…。中西の座右の銘は「人生楽笑」-。「楽しく笑って送る人生じゃないと自分のためにならないし、人に影響を与えられないから」。カープは粋な女神を味方にしたんじゃない? =敬称略=