新庄の成功は「ケンのおかげ」

 【6月7日】

 あれは2001年の春。阪神からニューヨーク・メッツへ移籍した新庄剛志の取材で米国を駈け回った。当時20代。2カ月以上の海外出張なんて初。日々不安だらけだったけれど、現地で働く一人の日本人が僕のオアシスだった。

 岩本賢一…メッツ職員で新庄の通訳を務めた人だ。キャンプイン前の野手が集う自主トレ期間、僕がポート・セント・ルーシーというメッツキャンプ地へ赴くと、真っ先に向こうから挨拶へ来てくれた。どんなときも腰が低く謙虚。スコールに遭ったある日なんて、「吉田さんの服も洗濯しておきましょうか」。感動した。通訳、そして広報役として、僕らと新庄の橋渡し役を完璧に担っていた。

 ご存じの通り、同年はもう1人メジャーリーグに挑戦した日本人野手がいた。イチローである。デイリースポーツーは連日「元虎のプリンス」の一挙手一投足を派手に報じていたが、いうまでもなく世間の注目はイチローが断然上。正直、僕も新庄の挑戦に半信半疑だったのだが、ナント彼はメッツで4番を打つまでになった。以前もここで書いたが、ニューヨークの地元開幕戦でホームランをかっ飛ばしたときは、何だ、この男の強運は!と呆気にとられた。

 「ケンのおかげだって!」

 あのころ、新庄が楽しげにそう話していたことは印象的だ。ケン…そう、岩本通訳のことだ。

 シンジョー?誰だ?当初は現地でそんな空気も漂っていたが、岩本の献身的かつ賢明なサポートでチームメート、そしてメディアとの関係はいつも円滑。新庄の元気と運気は彼が運んでいたと思う。

 なぜ、今これを書くか。ウィリン・ロサリオを思うからである。

彼のホンネがどんなものか、分からない。ただ、精神状態が芳しくなかったことは察しがつく。新庄は年俸2200万で海を渡ったけれど、ロサリオは違う。重圧、不安、苛立ち…言い知れぬ感情があるだろう。そんなとき彼に寄り添う伴走者、味方は不可欠である。

 この日の昼間、鳴尾浜をのぞきに行くと、ロサリオはウオーミングアップで全選手の先頭を走っていた。楽しそうに見えた。13年にプロ野球記録の60本塁打を打ったW・バレンティンは「こんなに打てたのは通訳のおかげでもある」と語っていたが、資質が備われば理解者は誰だっていいと思う。

 あのM・マートンを支えた通訳大木一仁はときに衝突も厭わなかったそうだ。「マートンとは喧嘩というか言い合いも何度かしました。遠征先では食事から帰っても話し足りず、部屋の前で30分以上話を聞いたこともありました」。阪神助っ人史上最多、R・バースより277本も多くヒットを放ったマートンの偉業は“良妻”大木なしには語れないものである。

 ロサリオ不在で巡った鳥谷敬のサード復帰が奏功したこの夜だけど、想定外の不測の事態は先が見えない。既に球団は新助っ人の調査に動いている。ロサリオはもう終わりなのか。もし打つ手があるとすれば…それは、技術教示ではないような気がする。=敬称略=

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